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<特別連載>ミャンマーのロヒンギャ問題とは何か? (15) 民族や宗教の対立が原因ではない「ロヒンギャ」問題  宇田有三

アジアプレス・ネットワーク 8月10日(水)11時44分配信

先に、ミャンマー国内には、ビルマ仏教、シャン仏教、モン仏教、ラカイン仏教があると説明しましたように、ラカインの人たちは自分たち独自で上座仏教を守ってきたという自負があるのです。外国の人にはあまり知られていない、上座仏教に対する強烈な《守護者意識》です。

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Q. モン族の上座仏教が、シュエダゴン・パゴダやチャイティーヨ・パゴダ(ゴールデン・ロック)、ビルマ族の上座仏教がパガンの仏教遺跡群とすれば、ラカインの上座仏教はミャウー(ムラウー・ウー)の仏教遺跡群とマハムニ仏像でしょうか?観光ガイドブックに必ず載っている、旧都マンダレーにある有名な黄金のマハムニ仏像。あれって、ラカイン上座仏教のシンボルだったのですか?

A. そうです。独立地域であったアラカン王国は1784年ビルマ族に占領されました。その際、マハムニ仏像はマンダレーに持ち去られたのです。

Q. では、同じ上座仏教といってもビルマ族とラカイン族は、実は仲が悪かったのですか?
A. 国境線や境界線が存在する今の感覚で、仲が良い悪いという表現は適当ではないでしょう。ミャンマーの歴史では当時、それぞれの支配勢力の群雄割拠の時代だったのです。日本でも「戦国時代」っていうのがあったでしょう。今でいうラカイン州は、独立していたのです。

ミャンマーの歴史を大ざっぱに振り返ってみると、モン族(ビルマ文字やビルマ上座仏教に多大な影響を与えた)、ビルマ族、ラカイン族がそれぞれ、覇権を争った歴史でもあるのです。特にラカイン族の「アラカン王国」はアラカン山脈に隔ててられた地域でしたし、海洋国家として中東や東南アジアと広く交易を行っていた海洋国家として栄えていました。

ミャンマーには次のような言い伝えがあります。
 《ヤカインとコブラにあったら、ヤカインを先に殺せ。》

ビルマの人にすればそれほどヤカイン人を怖がっていた(警戒していた)という言い伝えです。(もっとも、ここでいうヤカインは蛇の種類を指すという説もありますが、それだと逸話になりませんが)

Q. じゃあ、「ロヒンギャ問題」のことを考えるときには、ビルマ族とラカイン族の関係も頭に入れておく必要があるのですね。
A. 「ロヒンギャ問題」の原因は、「民族対立」や「宗教対立」ではありませんが、人や文化の違いをビルマ軍事政権が利用して、対立を作り上げてきた経緯があるのです。

これも繰り返しになりますが、仏教徒とムスリム、ビルマ民族とそれ以外は、その数と支配力において絶対的な差があったので、「対立」というよりも「迫害」という形になって表れてきたのです。


Q. 歴史、文化、宗教、民族が複雑に入り交じっているのですね。
A. そうです。これらの要因が複雑に絡み合い、時代と共に誤解も生まれ、軍事政権下で<「ロヒンギャ問題」の問題>となってしまったのです。(つづく)



宇田有三(うだ・ゆうぞう) フリーランス・フォトジャーナリスト
1963年神戸市生まれ。1992年中米の紛争地エルサルバドルの取材を皮切りに取材活動を開始。東南アジアや中米諸国を中心に、軍事政権下の人びとの暮らし・先住民族・ 世界の貧困などの取材を続ける。http://www.uzo.net
著書・写真集に 『観光コースでないミャンマー(ビルマ)』
『Peoples in the Winds of Change ビルマ 変化に生きる人びと』など。

最終更新:8月11日(木)23時33分

アジアプレス・ネットワーク

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。