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TAKUYAがジュディマリから日本の音楽業界の裏側まで、独自の目線で切る!

M-ON!Press(エムオンプレス) 8/11(木) 22:55配信

JUDY AND MARYのギタリストであり、「Over Drive」を筆頭に数々の名曲を生み出したコンポーザー、プロデューサーであるTAKUYA。私はそれ以前からずっと彼を見てきたが、いつも有言実行の人だった。

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あまりにも大きくなりすぎてしまったバンドのコントロールを20代で任されていたときも、ソロになって頬が少し緩んだときも、記憶にあるTAKUYAは恩義に厚く、たまに危うさを隠さずハラハラさせた。

2015年4月には20ヵ国以上の起業家と投資家が集まった世界最大級のスタートアップイベント『SLUSH ASIA』で日本の現状を憂い、福岡にスタジオを建ててアジアのハブ(ネットワークの中心)にする構想を英語でスピーチ。

自分のやりたいこととやれることを見据える目はこの25年間変わらない。そんな彼が今、45歳を目前に秘めていた話を初めて明かす。

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■小ずるかった、僕は

──上京してきたとき、プロのミュージシャンになれるっていう確信はあった?

TAKUYA 確信しかなかったなぁ。しかも小ずるかった、僕は。

音楽よりもとにかくコミュニティ、ネットワークにもぐりこむことが先だと思ったから、派手な恰好して前髪伸ばして、とにかく最初は目立とうと。名前は覚えてもらえなくても”あの前髪長い子”っていうのをまず覚えてもらおうと。その計画がもろにあたってみんなが覚えてくれたし、打ち上げに出ても誰よりも最後までいたから、体育会系っぽい中でそういうキャラとして認知してもらうのに成功して。

上京するちょっと前にJETZT(1989年デビュー)がツアーで京都に来たときに僕がローディーしてたバンドと対バンして、楽屋で池上さん(池上 久/JETZTのボーカリスト。酒にまつわるエピソードがとにかく多い)に「L?-PPISCH好きなんですよ」みたいな話をしたら、「俺は恭一(杉本恭一/L?-PPISCHのギタリスト)と友達だ」って言われて「すごい!」と思って。「上京しようと思ってるんですけど」って相談もして、あのとき池上さんは梅ヶ丘に住んでたから僕は明大前に住んで、上京してすぐは池上さんの家にしょっちゅう行ってた。

──かわいがってくれた?

TAKUYA かわいがってくれた。上京して初めてメジャーな人の打ち上げで奢ってくれたのがJETZT。

しかも池上さんにSKAFUNK(1990年デビュー。L?-PPISCHの弟分的なバンド)と繋げてもらったの。SKAFUNKがギターを探してるときに僕を推薦してくれて。

■そんなことあるんだ? こんなミラクルが起きるんだ?

──そのときSKAFUNKはもうデビューが決まってたんだよね?

TAKUYA 決まってた。僕ね、19歳までに絶対デビューしようって決めてたの。全部その計画に沿ってやって、15歳からオリジナル曲を作って、18歳でコンテストに出て。

でも、19歳の誕生日を迎えたときにバンドも何もなくて、ここから1年でデビューなんて絶対無理だと思って部屋にいたんだけど、そしたら10月くらいに「SKAFUNKに入らないか」って言われて、そんなことあるんだ? こんなミラクルが起きるんだ? って。次の年の春にデビューが決まってるバンドだったから「それはもうやります」と。

──SKAFUNKがどんな音楽をやってるかも知らず?

TAKUYA それに近い。その前までもうちょっとヴィジュアル系の畑にいたから。でも全然知らないわけじゃないし、それは入ってからなんとかしようと。

──で、いきなり下積みもなくデビュー。

TAKUYA 必死だった。洋一さん(宮崎洋一/SKAFUNKのボーカリスト)にとにかく鍛えられて。プロデューサーの恭一さんにはレコーディングのとき「とにかくギターは気合いだから」って言われて、それを心にずっとやってきたんだけど……まぁなんかとにかく、一生懸命やってたなぁ。

■前髪の長い彼だよね、っていうのはもういらなかった

──でも、SKAFUNKは洋一がレコード会社と喧嘩してメジャーではアルバム1枚で解散してしまって。

TAKUYA 夢見てたメジャーデビューと現実が違いすぎた。初めて大人の人の中に入って、汚いなぁとも思ったし、まぁすごい……挫折を感じたかな。

2ndアルバムでは僕の曲も採用されてデモまで録ったけど発売には至らず。もうちょっと俺も頑張れたんだけどなぁ、とか思いながら、けど1年間で雑誌とかにも載って”TAKUYAっていうやつがいる”ってことはわかってもらえたかな、と。

だからSKAFUNKを解散したときに僕は前髪を切ったんですよ。もういらないな、と思って。前髪の長い彼だよね、っていうのはもういらなかった。

──解散したらまたアルバイト生活に戻るわけでしょう?

TAKUYA SKAFUNKのときに照明とかだった人と、イベントの大道具のアルバイトで会ったんですよ。こないだまで俺がアーティストでその人は照明さんだったのに、わざとその人に「バイトくーん」とか言われたり。

──そういうのは発奮する材料になった?

TAKUYA 「ちくしょう!」ってのはいっぱいあるかな。もう笑い話にしてるんだけど、地元が京都と大阪で仲良かったBY-SEXUALが先にデビューして、僕がNHKでバイトしてたとき音楽番組のセットとか作ってて、BY-SEXUALのセットも作って、楽屋とかで会うんだけど向こうはアーティストで俺はバイトで(笑)。それは悔しかった。今でも仲良いからそのときの話とかするけど。

■周りのやつ全員倒して私が勝つ、みたいなそういうギラギラした感じ

──SKAFUNKが解散してからJUDY AND MARY(ジュディマリ)に入るまではどれくらいの期間が?

TAKUYA 1年くらいじゃない?

──その間、何か他のオーディションを受けたりは?

TAKUYA 本田泰章さんのオーディションに呼ばれてたんだけど、前の日飲みすぎて行けなかった(笑)。今思えば、それも運命だったんだなぁ。なんで行かなかったのか、不思議なくらい。

──ジュディマリはどんなバンドか聴いていた?

TAKUYA 一応資料はもらっていた。恩ちゃん(恩田快人)がロリータパンクで行きたいって言ってたんだけど、全然パンクじゃないじゃん、ロックじゃん、って思って。ハードロックの人がやるパンクはパンクじゃないんだよね。

でもオーディション受けに行ってYUKIに会ったとき、エレベーターで会ってたんだけど、ピンと来た。その瞬間まではまさか自分が女の子ボーカルのバンドでのし上がるなんてまったく思っていなかったから不思議なもんだなぁ。

──YUKIはどこがすごかった?

TAKUYA 最初に会ったときからやる気が違った。俺と同じぐらいやる気があった。周りのやつ全員倒して私が勝つ、みたいなそういうギラギラした感じ。

同じことを思ったのはのちにデビュー直後の浜崎あゆみと一緒になったときで、エレベーターで何階か移動する数十秒で、こりゃすごいのが出てきたなと思った。

■ああやって終わらせて真空パックしておいて正解だったと思う

──オーディションでは何を弾いたの?

TAKUYA 「POWER OF LOVE」となんかもう1曲。さすがソニーがこれだけ大掛かりなオーディションやるだけのことはあるなぁ、って感じだったけど、センスがあるなら俺を選ぶでしょ、って。俺を選ばないってことはダサいバンドだから、そんなバンドには入りたくなかったし。

──合格の報せが来たときは当然だぜ、と?

TAKUYA 売れる気があるんだな、って思った(笑)。

──実際、そのあとバンドをどんどん乗っ取っていったよね。

TAKUYA そうですね。乗っ取ったというよりはYUKIも僕もまだまだ行けたっていうか、あとのふたりはすぐに疲れちゃったんだよね、あのスピードに。乗っ取ったっていうより、しょうがなかった。ああなるしかなかった。けど、いまだにいろんな人に「ジュディマリが好きだった」って言われるけど、あのときああやって終わらせて真空パックしておいて正解だったと思う。

──ジュディマリでほとんど自分の夢は叶えたでしょう?

TAKUYA そうね。うん、それで解散したでしょ。10代で描いていたこと全部やっちゃって、その先のことなんて何も考えてなかったなぁ。

──解散したときは29歳で。

TAKUYA 全部やっちゃったよ。予定ではもうその頃人生終わってると思ったの。

──27歳で死ぬはずだった?(ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、カート・コバーン、エイミー・ワインハウスなど昔から27歳で亡くなるミュージシャンが多い。“27クラブ”という言葉もある)

TAKUYA それくらいで消えてなくなるようなイメージだったの。でもまだ人生長いぞ、ここから先のこと全然考えてなかった、って。

■そのへんはレピッシュイズムなんで(笑)

──解散の東京ドームはどんな気持ちだった?

TAKUYA やってやった感はあったな。胸に穴が空いてたし。

──穴?

TAKUYA 胸にデキモノが出来て手術でとったから、その穴にガーゼとか詰めてた。終わってから看護師さんに消毒してもらったんだけど、楽屋で「痛い痛いー!」って叫ぶほど。もろ肉が出てる状態だった。

──手術はドームのあとにすればよかったのに。

TAKUYA いや、待てないくらい腫れあがってたの。もう痛くて腫れてて、夜中に救急で慶応病院行ったら「すぐに手術です」って。

──それなのに打ち上げで明け方まで飲んで(笑)。

TAKUYA そのへんはレピッシュイズムなんで(笑)。

■最高にかっこいい、良い演奏の、いちばん良いJUDY AND MARYをDVDに残すことができた

──解散を決めたときTAKUYAはどういう心境だった?

TAKUYA う~ん……まぁ、ABCといくつかプランがあって……まぁでも元々のプランだったんだよね。BOφWYみたいにドーム2デイズで華々しく解散したいっていうのがあったから。

──それには今このタイミングだろうと。

TAKUYA そう、そのチャンス。レジェンドチャンス。今でこそGLAYとか偉大だなって俺も思う。でもあの当時自分の周りにこんな年までバンドやった経験がある人なんて誰もいないから。

もし続けてたら、っていう”たられば”はたくさんあるけど、あのとき選んだ道は間違ってなかった。最高にかっこいい、良い演奏の、いちばん良いJUDY AND MARYをDVDに残すことができた。そのために体も相当鍛えたし、もうあんなのできない。29歳ならでは。

──ステージのデザインや演出も全部考えていたものね。44歳のTAKUYAが29歳の自分に何か言うとしたら?

TAKUYA 狂気だったからなぁ。そんなに狂気じゃなくてもどうにかなったんじゃないの、って思う。本当に集中してた。もっと人間的に幸せになれた道もあったかもしれないけど、でも全部捨ててロックミュージシャンに集中したからあれができた。ずっとあんなことやってたら早死にする。

だからまぁ、あそこで終わっといたおかげで生きてます。あのままやってたら俺は死んでた。

■なんだろう、考える時間がほしかったのかなぁ

──解散してこれからどうしましょう、っていうのは。

TAKUYA まぁ作曲家、プロデューサーとしてやっていこうかな、と。その前からΛuciferとかやってたけど、佐久間(正英)さんの背中を見てたせいかそっちに興味あるなぁ、と思ってたのは事実で。だから自分のスタジオも作ったし。

──何年間かロンドンで暮らしてたよね。

TAKUYA ロンドンでは英語の勉強以外何もしなかった。初めて足を止めたかな。自分でもわかってたんだけど、急にはトップスピードで走り出せないから、1回走るのをやめちゃうとまた走り出すのはすごく大変なの。それはわかってたんだけど……でもまぁそういうタイミングだったのかなぁ。

まともな学生生活とかしたことなかったし、なんだろう、考える時間がほしかったのかなぁ。もっと長くいれば良かったんだけどね。そこがちょっと俺のダサいところっていうか田舎育ちっていうか、不安になって帰ってきちゃったんだよね。

──得たものはやっぱりあった?

TAKUYA たくさんあるけど、いわゆるロック、日本の業界で言ってる”ロック”とヨーロッパやアメリカのロックは別のものなんだな、って。その違和感は今でもすごく感じてる。どんどん。

■東京のJ-POPとは違う福岡ミュージックを作れるかなぁ

──福岡にスタジオを作ろうっていう計画はいつ頃から考えていたこと?

TAKUYA 結構長い間考えてた。脱・東京ってことでどこがいいんだろう、って。そんななか、あるとき福岡に行って、”ここだな”って。ここなら住めるし仕事もできる、未来がある。他のとこだとなんかピンと来なかったんだよなぁ。

金沢とかもいいんだけど、空港とか便とかの問題で、東京と大阪には行けるんだけど、台北とか北京とかには行きにくい。北海道もとても良い。すごく酔いんだけど、なんか遠くなっちゃう。隠れてこそこそやるには良いんだけど。京都ももちろん考えた。

福岡は中国も韓国も近いし東京への便も問題ないし、全体を見渡せる。ここだったら東京のJ-POPとは違う福岡ミュージックを作れるかなぁ、と。あとアジアの人たちも来やすい。台北を拠点に中国のマーケットを狙って、そのために移住してるミュージシャンもいたりする、そういう仕事の流れの輪に日本は入れてない。それは東京だから入れないんだと思う。

東京は東京でJ-POPやっててもらって、ソウル・福岡・台北・北京・香港で仕事だったりクリエイティブしたりは可能だなって。

──俺がやらなきゃ、って使命感もある?

TAKUYA 誰もやってくれないし(笑)。結局、僕が働きたい職場がないんですよ、東京に。じゃあ布袋さんみたいにイギリス行けばいいじゃん、って言うかもしれないけど、それもちょっとなんか違うし。自分が働きやすい職場環境を整えたくて。東京の自分のスタジオもいいんだけど、でもここで仕事するのはもうイヤだ。

■もっと普通に音楽やりたい

──なぜ?

TAKUYA 完璧なの。スモールフィールドで効率よくっていう、今となっては主流のスタジオとして完璧。こういうとこで音楽作るの15年くらいやってきたけど、でも本当は、ガーンって音を鳴らしたいんだよね。そのバーチャルはここでできるけど、それも飽きちゃった。もっと普通に音楽やりたい。

──その構想は今どれくらいの段階まで来てる?

TAKUYA どれくらいですかねぇ。再来年の冬オープンと言われてるけど、どうなるんだろう。今が頑張りどころ。

──では最後に25周年、45歳について。

TAKUYA 最近すごく思うのは、ギターうまくなった。あと歌もうまくなった。やっと楽しくなってきた。こんなに楽しくギターが弾けるなんて。

ムッシュ(かまやつひろし)とかと飲んでて、ムッシュ77歳、その年まで自分はあと32年。ギター始めてから30年、デビュー25周年。それより長いのがムッシュまでの年。ヤバいな、どこまでギターうまくなるんだろう。あと20年たったらヤバいよ(笑)。

そうだ、一昨日くらいに決めたんだけど、誕生日ライブが終わったら台北に留学しようかな、って。中国語を生活できるくらい勉強したい。

──9月9日のクアトロでは25年間の総括をする?

TAKUYA そう思ったんだけど曲が多すぎて全部はできない(笑)。ジュディマリの曲いっぱいやりたいけど、できるできないは歌う人の問題があるから。女の子に来てもらって歌ってもらってもねぇ。

でも過去に歌ったことがある曲は全部やると思う。クアトロみたいなライブはもう当分やらないと思うし、こんなことめったにないんで、来られる人はみんなで歌ってください。ジュディマリのカラオケ大会と思ってくれてもいいんで(笑)。

INTERVIEW & TEXT BY 佐々木美夏

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【ライブ情報】
TAKUYA 25th Anniversary Concert (and Birthday Bash!)
09/09(金)東京・渋谷CLUB QUATTRO
[メンバー]TAKUYA、友森 昭一、かどしゅんたろう、飯塚啓介、村原康介、伊藤千明
[ゲスト]上木彩矢、MEG.ME、and more
※来場者特典:TAKUYA and the Cloud Collectors 新曲QRコード付き記念カード

【プロフィール】
タクヤ/京都生まれのギタリスト、ソングライター、プロデューサー。1993年9月にJUDY AND MARYのギタリストとしてデビュー。1997年9月にROBOTSでソロデビュー。

最終更新:8/11(木) 22:55

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