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【さえりさん連載】ことばとわたしたち #5「海外生活で感じた、“東京の日常“への欲求」

SENSORS 8/12(金) 10:16配信

ライター・さえりさんによる連載・5回目。
前回はスペイン・バレンシアでの生活の模様をお届けしたが、その生活の中で“東京の日常“への欲求が生まれてきたというさえりさん。その心境の変化について綴ってもらった。

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こんにちは、ライターのさえりです。

スペイン・バレンシアに2ヶ月住みながら仕事をすることを決めたものの、バレンシアに移って50日後、わたしは取っていたチケットの予定をわざわざ早め日本に帰ってきていた。

海外生活が嫌になったのではない。

バレンシアでの暮らしは本当に平和だった。毎日天気はいいし、ご飯も美味しい。パエリア発祥の地なのでお米も多く作られていてお米シックにもならないし、日本人の経営するラーメン屋さんもある。

日本人とスペイン人の友人もでき、暮らしの幸福度は50日間ほとんど毎日持続した。

執筆をしつつ、ほどよく遊ぶ。最高の環境だった。
でも、それでも心がざわついてしまったのだ。

そのざわつきをじっくり見つめて、わかったことはこれだった。

「ここは、平和すぎる」。

天気がいいこと、ご飯がおいしいこと、友人がいること。そこに幸せを見出す生活。

わたしだってこういう生活は大好きだ。

でも、生きる上での向上心とか“なりたい自分“を追い求める気持ちとか、そういうものが日々日々太陽の光にまみれて見えなくなっていった。バレンシアにいると「(日本で仕事や生活をする上での)未来に繋がる新しい出会い」はそう多くはない。
でも、まぁいいや、このままで幸せなんだもん、と言いそうになった。と、同時に「もう日常に戻らなければ」と思った。

この感覚は地元の山口県に帰っているときにもよく感じる。平和で、穏やかで、困ったことなどひとつもなくて。そういう場所にいて平和が体に染み入ってくるときに感じる焦り。

このことをブログに書いたとき「わたしも地元にいるとそう感じます」と、たくさんの反響があって驚いた。

平和で何が悪いのか? なぜわざわざ荒波へと走っていくのか? わたしにはまだわからない。でも、人それぞれがそれぞれのタイミングに感じる「違和感」や「突き動かされる衝動」を見ないふりはできない。体の奥底に普段は静かに横たわっている“磁石“のようなものが、時を見計らってガタガタと動き始め、わたしたちは次の場所へと運ばれる。

このとき、その欲求に耳を澄まして従うのが一番だと、わたしは思っている。きっと頭で考えるよりも、ずっと磁石のほうが「良いもの」をしっていると思うから。

もともと海外での暮らしを「非日常的なもの」ではなく「日常の延長線上」にしたいと願っていたのに、バレンシアでの暮らしはわたしにとっては「欲しい日常」ではなかった。でも、これは住んだからこその大きな発見だった。

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最終更新:8/12(金) 11:21

SENSORS