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【コラム】愛は平等ではない――尾崎世界観が“鬼”で歌うこと、その重要さについて

RO69(アールオーロック) 8月12日(金)19時0分配信

先頃公開されたクリープハイプ『鬼』のディスクレビュー(こちら→http://ro69.jp/disc/detail/147042)で、僕はタイトル曲“鬼”について「これ、尾崎の処女小説『祐介』からニューアルバム『世界観』へと至る物語のリード曲にもなっているのではないか」と書いた。そもそもは現在発売中の『ROCKIN’ON JAPAN』9月号掲載用に書いたレビュー記事なのだけれど、その後7月末に立ち上げられたスペシャルサイト「ozaki.site」で、『祐介』『鬼』『世界観』という3つの作品がトップイメージに用いられているのを見て、その仮説がさらに一歩、確信に近づいたという気持ちがしている。

“鬼”は、クリープハイプのシングル曲としては史上もっとも強力なファンクロックのグルーヴを提示しつつ、歌詞においては尾崎世界観が一貫して伝えてきたテーマのど真ん中を狙い撃ちしている。そのテーマは何なのかというと、「愛の渇望」である。彼らはありとあらゆる手段を尽くしてその「愛の渇望」というテーマを表現してきたバンドであり、尾崎世界観、そしてクリープハイプ以前の物語として綴られた小説『祐介』の中にも、「愛の渇望」を巡るジェットコースターのようにスクロールする視界と心象があった。

触れられるのは怖い。でも、触れられることで初めて、自分自身の存在の輪郭や役割を確認することができる。そんな愛の形を延々と続く人生の鬼ごっこに見立て、“鬼”は歌われる。アップリフティングなナンバーだが、緊迫感が立ち込めたまま紡がれる強力なグルーヴには胸が詰まる。堂々巡りの愛の鬼ごっこは、これほどまでに刺激的なグルーヴに後押しされてはじめて、不変のテーマとして成立するものなのかと。

愛は平等ではない。尾崎世界観はそのことを歌い続けている。愛に満ち足りてさえいれば違っていたはずのすべての運命を映し出すように、歌い続けている。“鬼”という曲は、小説『祐介』とアルバム『世界観』を繋ぐだけではなくて、もしかしたらすべての人の一生の真ん中で聴こえているべき歌なのかもしれない。

すでに半世紀を越えたロック史の中で、我々はロックが愛の渇望を穴埋めする詰め物にしか過ぎないのかもしれない、ということを知っている。だからこそ、クリープハイプは今日、最も重要なロックバンドなのだ。たとえ、そこで歌われる愛がどれほど滑稽で、無残な形をしていようとも、我々の目に見えないはずの愛とやらの輪郭を、それこそ手に触れるように確かなものとして伝えているからだ。(小池宏和)

RO69(アールオーロック)

最終更新:8月12日(金)19時0分

RO69(アールオーロック)