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焦土の記憶、生の声で 講演や展示、活動15年 旭区「若葉の会」

カナロコ by 神奈川新聞 8月13日(土)14時26分配信

 横浜市旭区若葉台を拠点にする「戦争体験を語り継ぐ若葉の会」。最高年齢92歳、平均80代半ばの会員は、中学・高校での講演、戦争に関する資料の常設展示、広島や長崎の慰霊碑への千羽鶴奉納と精力的に活動する。結成15年目。片岡正会長(89)は「体験していない世代からも語り継ぐ仲間を増やしたい」と話す。

 1945年5月29日。17歳だった片岡さんは現在のみなとみらい21地区にあった三菱重工業横浜造船所で学徒勤労動員として勤務中、横浜大空襲を経験した。

 中区羽衣町の自宅へ帰る途中には、立ち上る黒煙、焼け落ちた建物の残骸、黒焦げの並木…。「辺り一面焼け野原。(その時の心境は)ぼうぜん自失、と表現するほかない」。自宅は跡形もなくなり、しばらくの間、3畳ほどの防空壕(ごう)での生活を強いられた。そして迎えた8月15日の終戦。「ほっとした、というのが一番の感想だった」と振り返る。

 会の結成は市立若葉台西中学校(当時)から、生徒たちに戦争体験を語るよう頼まれたのがきっかけ。40人ほどの仲間が集まり、中学校や高校を中心に講演し、語った内容は生徒たちの感想文とともに講話集として記録している。

 閉校となった若葉台西中の教室を借り、日米開戦を伝える英字新聞、沖縄やサイパンなどへの慰霊の旅を紹介した写真などを展示。来場者に折り鶴を呼び掛けてもいる。

 類似団体と同様、高齢化の課題を抱え、会員は10人に減少したが、片岡さんの意欲は衰えない。折しも、改憲が現実味を帯びる。「会として政治や宗教に関する話は一切しないことになっている」と明かした上で力を込めた。

 「戦争の悲惨さはテレビなどで伝えられても若い世代にはピンとこないはず。私たちの生の体験を聞き、よく勉強し、この国がどういう道に進むべきか、判断してほしい」

最終更新:8月13日(土)14時26分

カナロコ by 神奈川新聞