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U-18侍ジャパン小枝守監督 闘志の野球の原点

東スポWeb 8月14日(日)17時22分配信

【越智正典「ネット裏」】U―18の全日本、侍ジャパンの監督、小枝守が、高校野球第98回大会2日目の一昨日、東京発、朝一番の新幹線で甲子園球場に向かった。関係者に挨拶するのに、はなやかだが、しかし関係者が忙しい初日を避けたのはいかにも小枝らしかった。そういう男である。よく気を使う男で、たとえば先輩、後輩に手紙を書くと「8月10日、小枝守…」とは書かない。「8月吉日」と結ぶ。いいことがありますようにと、祈っているようにだ。

 小枝が日本高野連からU―18の監督に推挙され、正式に発表されたのは4月のことであったが、すると、彼は毎朝自宅から最寄りのJR内房線、木更津発、午前5時の一番電車で千葉に向かった。スポーツ新聞や弁当を売っている売店はまだ開いていない。千葉で乗り換え。ちょうど挙行されていた参加96校の春の東京大会や、引き続いて18校で戦われた春の関東大会を見に行った。車だと球場に着く時間が読めない。もし、渋滞にぶつかったら午前8時45分か、午前9時プレーボールの第1試合に間に合わない。

 見に行ったのは、代表選手が選考されたとき、即その選手の特徴が浮かぶようにするためだった。

 始まった“夏”をめざす地方大会も見に行った。急な雨で日程変更にもぶつかった。神宮球場へ行ったときは、彼にとってふるさとのような、東京都高野連の事務局長、横山幸子が、事情のすべてを承知していて、大変ですね…と球場の別室に案内してくれた。二人はひょいと田植えの話をした。毎日毎日の田んぼの手入れが大切というのであったろう。ひるには、弁当がとどけられた。実は小枝は昨年の3月に拓大紅陵を退任後、秋になって昔を忘れずに木更津名物のあさり弁当を下げて渋谷の都高野連事務局に横山に挨拶に行っている。このことからいうと、二人は弁当でフレーフレー、とエールを交わしたといえる。

 この場合は例外である。私は“各球場でひるはどうしていたんですか”と訊ねた。小枝は言った。「帰りに駅でそば一杯でした」。これでいい。監督はときに孤独でいい。U―18は8月28日、アジア選手権大会(8月30日↓9月4日)の台湾台中へ飛び発つ。木のバットの戦いになる。選手選考はこれからである。

 小枝は1951年7月29日、東京両国緑町で生まれ育った。両国は相撲の町である。当時、場所は蔵前であったが少年時代、朝、家のそばの井筒部屋に稽古を見に行った。ぶつかり稽古。土と砂と乱れ髪。小枝はドロだらけになって戦う野球が大好きである。ランナーを進めるのに、一心なバントが好きであるハズである。

 場所が始まると、両国の町内、町内をふれ太鼓が練った。守少年の胸は躍った。彼ののちの闘志の野球の起点である。=敬称略=(スポーツジャーナリスト)

最終更新:8月14日(日)17時22分

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