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亡き兄2人へ平和誓う 中井町の男性、電報など見返す

カナロコ by 神奈川新聞 8月14日(日)9時3分配信

 夏が来るたびに開くファイルがある。元中井町福祉協議会会長の市川義男さん(81)=同町北田=は、太平洋戦争で兄2人を失った。兄たちが生きた証しでもある戦死の知らせを、70年以上たった今でも戦地から無機質に届けられたこの時期に見返しては心に刻む。「戦争の悲惨さを後世に伝えるのが残された者の使命。二度とそういう時代が来ないように」

 義男さんは、兄2人の死を伝える電報や父が戦地の次兄に送った手紙などを、終戦後6年で亡くなった父・邦造さんから託された。黒いつづらに大事に残されていたのを覚えている。ファイルに整理した義男さんは、8人家族の集合写真とともに生前の兄たちを懐かしむ。

 長兄・利男さんは1940年12月、次兄・秀男さんは44年3月に中井村(当時)から出征した。一回りも年齢が離れた、頼もしい兄たちだった。「馬にまたがって村人に見送られていった長兄が誇らしかった。『帰ってきたら一緒に会社をやんべ』と笑っていた次兄の言葉も忘れられない」と振り返る義男さん。2人の姿を見たのはそれが最後だった。

 通信兵だった長兄は44年4月、フィリピン沖で魚雷攻撃を受け陸軍徴用貨物船の第一吉田丸とともに沈んだ。24歳だった。届けられたのは1通の官報。「ソウレツナルセンシス(壮烈なる戦死す)」の文字に、一家が悲嘆に包まれた。

 満州(中国東北部)で入隊している次兄に、父が手紙でその事実を伝えると「きっと敵(かたき)は取って見せる。仲良く勉強して兄上様の分まで父母上様に孝行するんだよ。それが兄さんの一生の願いです」とのはがきが義男さんに返ってきた。終戦後も帰りを待ったが、レイテ島(フィリピン)で戦死したとの死亡告知書が47年8月に送られてきた。まだ22歳の若さだった。

 自宅に届いたものは兄たちの死を知らせる電報と骨つぼのみ。当時は禁じられていたが骨壺は父が開けたという。そこには兄たちの名が書かれた位牌(いはい)だけが入っていた。

 「たった紙切れ1枚、位牌一つで兄たちが死んだことになるのか」。当時、子ども心にも憤ったという義男さん。墓には遺骨の代わりに位牌を埋めるしかなかった。「いくら国のためとはいえ、息子2人を失い相当ショックだったに違いない」という義男さんは、父の小さく震えた背中が今でも忘れられない。

 あれから71年。愛する者たちを失わせた戦争への思いは色あせない。義男さんは「今の平和な時代を存続させるためにも、やはり争っちゃいけないと後世に伝えたい」。今年の夏もそう心に刻む。

最終更新:8月14日(日)9時3分

カナロコ by 神奈川新聞