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龍馬の婚約者「千葉さな」改葬へ 松戸の無縁塚から 没後120年「姉妹一緒に」

千葉日報オンライン 8/15(月) 9:02配信

 幕末に活躍した坂本龍馬の婚約者とされながら結ばれることはなく、戦後に千葉県松戸市にある東京都立八柱霊園の無縁塚へ合葬された千葉さなの墓が、今年で没後120年を迎えるのを機に、千葉家ゆかりの東京都練馬区の仁寿院へ改葬されることになった。さなの妹はまの子孫が無縁塚の土を譲り受け、命日の10月15日に法要を営む。

 歴史研究家あさくらゆうさんらによると、さなは1838年、江戸で剣術道場を開いていた千葉定吉の娘として誕生した。伯父は北辰一刀流を創始した剣豪の周作。修行中だった龍馬と道場で知り合い、いいなずけになったとされる。

 龍馬はその後、土佐へ帰って脱藩。薩長連合の成立に奔走し、お竜との結婚なども経て、67年に京で暗殺された。一方、龍馬と疎遠になったさなは、明治維新後に横浜で元鳥取藩士と結婚したが、間もなく離縁した。東京の千住へ移り住んで、きゅう治院を開くと評判を得るなどして、96年に58歳で亡くなった。

 あさくらさんが公開を求めた東京都の無縁墳墓改葬許可証によると、さなの遺体は死亡4日後の10月19日、東京の谷中霊園に、同居していたはまの夫である熊木庄之助の名で土葬された。

 だが、さなが亡くなった後はきゅう治院の経営を巡って親族らの争いも起き、やがて墓は放置されたとみられる。戦後になり、都市の復興計画で谷中霊園が整理される際も、引き取り手が現れなかったとし、ほかの墓の埋葬者と共に八柱霊園の無縁塚へ合葬された。

 さなの墓を改葬するのは庄之助の孫で、周作の直系でもある横浜市鶴見区の熊木慶忠さん(80)。7月27日に親族と霊園を訪れ、無縁塚の石畳の下から採取した土を入れた骨つぼを受け取った。かつては浅草に所在し、千葉家の菩提(ぼだい)寺として知られた仁寿院には、はまも眠る熊木家の墓があり、そこへ移すという。

 改葬などのため、霊園が無縁塚の土の譲渡を認めるのは今回が初めて。慶忠さんは「さなが無縁塚にいると知ったのは数年前で、ゆかりのある者として忍びない思いをしてきた。早く姉妹を一緒にしてあげたい」と思いを語っている。

最終更新:8/15(月) 9:02

千葉日報オンライン