ここから本文です

18歳で散った飛行兵、何を思ったか 昨年日誌を発見、おいが本に

福井新聞ONLINE 8/15(月) 17:22配信

 1945年4月、沖縄上空で戦死した福井県旧下穴馬村(現大野市)出身の陸軍少年飛行兵(少飛)が、航空通信学校時代に残した日誌を収めた「花もひらかぬ一八のまま」(合同フォレスト)が刊行された。10代で戦争に身を投じた少年の、お国のためにという覚悟と家族を思う葛藤が率直につづられ、当時の状況を如実に映し出している。

 平野利男さん(享年18)は15歳で少飛に志願し、航空学校や航空通信学校で学んだ後、通信兵として九州の基地などに所属した。45年4月に鹿児島県の鹿屋海軍航空基地から重爆撃機「飛龍」で出撃、沖縄付近で米軍艦船群を攻撃中に戦死した。

 収録した日誌は、43年4月から在学した水戸陸軍航空通信学校時代の約1年3カ月にわたり、大学ノート3冊に書かれていた。利男さんのおいで福井市の医師平野治和さん(64)が昨年5月、大野市の実家で見つけた。

 「1次資料としての価値を損なわないため」(治和さん)に、日誌の仮名遣いを現代に直しただけでほぼ原文のまま掲載した。利男さんの生い立ちとともに、少飛の生活や当時の無線・暗号技術といった日誌を読む上で参考になる情報を専門家の協力を得て丹念に調べ、1年余りかけて1冊にまとめた。

 日誌の前半は日々の学んだ内容や訓練の様子、利男さんの決意が淡々と書かれている。戦況が悪化するにつれ、「陛下の為に死せる人になるを得んや」「死する為に生まれて来たるより外になし」といった死の覚悟と国への献身の思いを吐露している。一方で「家の事も考ふれば、雑念も又浮びて、実に心苦く感ずるなり」など、家族や故郷を思う心情が端々ににじむ。

 「我等陛下の股肱(手足)なり」「班長と共に死んで呉れ」など、教官のげきが所々に書かれており、少年を戦地に駆り立てた当時の空気感が伝わってくる。

 タイトルは、利男さんの母が戦後、息子を思って詠んだ短歌から採った。治和さんは「敗戦を境に、個人を大切にする価値観が広がった。1人の少年の人生を通して、平和や今の憲法の意味を多くの人に考えてほしい」と話している。

福井新聞社

最終更新:8/15(月) 17:22

福井新聞ONLINE

なぜ今? 首相主導の働き方改革