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【レスリング】銀メダルで悔し泣きした“忍者レスラー”太田の素顔

東スポWeb 8月16日(火)10時47分配信

【ブラジル・リオデジャネイロ14日(日本時間15日)発】レスリング男子グレコローマンスタイル59キロ級で五輪初出場の太田忍(22=ALSOK)が銀メダルを獲得した。初戦から準決勝まで強豪を次々に撃破。決勝では昨年の世界王者イスマエル・ボレロモリナ(24=キューバ)に敗れたが、日本男子では16大会連続(不参加のモスクワ五輪を除く)のメダル確保を果たし伝統を守った。世界に誇れる“忍者レスラー”は負けず嫌いで、将来は総合格闘技志望とその素顔もユニークだ。

 すさまじい勢いだった。初戦ではロンドン五輪55キロ級金メダルのソリアン(イラン)に逆転勝ち。2回戦は昨年世界選手権3位のケビスパエフ(カザフスタン)、準々決勝も一昨年の世界3位ベルゲ(ノルウェー)に快勝。準決勝では昨年世界2位のバイラモフ(アゼルバイジャン)に得意のがぶり返しからフォール勝ちした。

 決勝こそボレロモリナにテクニカルフォール負けを喫したが、価値ある銀メダル。それでも太田はマットを下りると、顔を手で覆って悔し涙を流した。「悔しい。金しか狙っていなかったので。(日本に)帰ったら、すぐに練習したい」と負けん気の強さを見せた。

 レスリングを始めたきっかけは「親父にだまされました」(太田)。小学1年の3月、父・陽一さんから「遊びにいくぞ」と言われ、車に乗って海の方向に向かった。海釣りだと思い居眠りをしていると、着いた先は体育館。子供たちがレスリングをやっていた。父から「やるか?」と聞かれ断ったはずが、いつの間にか自分もその中の一人になっていた。レスリングクラブ以外にも自宅で父から厳しい指導を受けた。嫌だったレスリングだが、元来の負けず嫌いの性格もあって、メキメキと力をつけていった。太田は「負けず嫌いに育てられたんです」と振り返る。乳児のころ、陽一さんがわざと太田から哺乳瓶を取り上げ、それを取り返すことで闘争心を鍛えられたという。

 高い評価を得ながら、昨年までは国内であと一歩及ばず世界選手権出場の経験はない。それでも「世界で勝つなら自分しかいないと思っていた」。表舞台に立てない時期も自分を信じ、練習を積んだ。リオ五輪に合わせるように、昨年末の全日本選手権で初優勝。五輪アジア予選で出場枠を自らもぎ取った。

 素早く、豪快な胴タックルとがぶり返しが得意技。見ていて分かりやすく面白い試合を展開する。人呼んで“忍者レスラー”だ。「新種のグレコ。ファンタスティックレスラーですね」と自らを分析。胸と胸を合わせるという基礎から離れ「胸は合わせない。足を使わないフリーをしている感覚です」と独自のスタイルを築いてきた。グレコに対するプライドも人一倍で「海外では身体能力の高い選手がグレコをやるんです。見てて面白い試合ってこっちは疲れるんですよ。でも『お前の試合見てグレコ好きになった。グレコってかっこいいな』って言われるのが一番うれしい」とこだわっている。

 2020年東京五輪では金メダルの期待もかかるが、太田には別の野望もある。「フリーも自信あります。グレコは59キロ級で出て、フリーは61キロ級で出て、まずは全日本チャンピオンになりたい。あと、いずれは総合格闘技もやってみたい。痛いの嫌いなんですけどね。興味はあります。自分の体でメシを食えたら最高です。まあ、いろんなことに挑戦してみたい」

 レスリングは柔道と違い、競技と並行して総合格闘技への挑戦も可能。異色の両スタイル制覇、そしてリングへのチャレンジと柔軟にわが道を行く。

 試合が終わっても、太田は「今回の五輪で一番に得られたものは悔しさ。銀メダルで満足なんかしていない。4年後は絶対金メダルを取ってやろうと思う」と闘志全開のまま。忍者レスラーの行く末が楽しみだ。

☆おおた・しのぶ=1993年12月28日生まれ。青森県出身。八戸キッズでレスリングを始め、全国少年少女選手権4度優勝など、少年時代から頭角を現す。山口・柳井学園高から日体大。2012年世界ジュニア選手権55キロ級3位。2015年全日本選手権優勝。165センチ。

最終更新:8月16日(火)10時50分

東スポWeb