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豊田泰光さん死去 本紙評論家・伊勢孝夫氏が悼む

東スポWeb 8月16日(火)17時5分配信

 西鉄(現西武)の黄金時代に強打の内野手として活躍した豊田泰光(とよだ・やすみつ)氏が14日午後10時41分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため川崎市内の病院で死去した。81歳だった。茨城県出身。葬儀・告別式は24日午前9時半から東京都品川区西五反田5―32―20、桐ケ谷斎場で。喪主は妻峯子(みねこ)さんと長男泰由(やすゆき)氏。

 豊田氏は1953年に茨城・水戸商高から西鉄に入団。1年目から遊撃手のレギュラーとなり、打率2割8分1厘、27本塁打で新人王に選ばれた。27本は当時の高校出新人の最多記録だった。56年に3割2分5厘で首位打者を獲得。巨人を破った同年の日本シリーズでは最優秀選手に選ばれるなど、大舞台に強い打者として活躍。鉄腕・稲尾和久、怪童・中西太の両氏らとともに「野武士軍団」として、56年から日本シリーズを3連覇した西鉄の黄金時代の中心選手となった。

 63年に国鉄(現ヤクルト)に移籍し、69年限りで引退。通算成績は1814試合に出場し、打率2割7分7厘、263本塁打、888打点。オールスター戦に9度出場、ベストナインには6度選出された。現役引退後は近鉄でコーチを務めた後、野球解説者として多方面で活躍し、評論活動などが評価され、2006年に野球殿堂入りを果たした。

 72年、豊田氏が近鉄打撃コーチ時代、近鉄選手だった本紙評論家の伊勢孝夫氏は「指導熱心な方で多くのアドバイスをいただいた。キャンプでは夜遅くまで大広間でスイングをさせられた。打撃ケージの後ろでは、それこそうるさいくらい、いろんなことを言われました。いつも激しい口調でね。一死三塁で凡退したら『外野フライも打てないのか!』って言われたのも思い出します。とことん、いびられました。それほど一生懸命な方でした。豊田さんは72年の1年間だけ近鉄のコーチをされましたが当時、若手だった梨田(元近鉄、現楽天監督)、羽田(元近鉄、現三田学園監督)らは、その指導もあって成長したと思う。現在の私があるのも、少なからず豊田さんの影響があります。とても感謝しています。ご冥福をお祈りいたします」と語った。

最終更新:8月16日(火)17時5分

東スポWeb

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