ここから本文です

【リオ五輪】錦織の96年前に銀メダル獲得 伝説のテニス選手・熊谷一弥とは

BuzzFeed Japan 8月16日(火)7時42分配信

リオ五輪テニス男子シングルスの3位決定戦で、日本の錦織圭がスペインのラファエル・ナダルを下し、悲願の銅メダルを獲得した。

【写真まとめ】史上初「三つ子で五輪」エストニアの童顔ブロンド三姉妹

日本テニス界の五輪メダルは、1920年アントワープ五輪で熊谷一弥が男子シングルスとダブルスで銀メダルを獲得して以来、96年ぶり。ちなみに熊谷は、日本にとって初の五輪メダリストだった。

錦織の前に世界の舞台で活躍した熊谷とは一体どんなプレイヤーだったのか。
【BuzzFeed Japan / 徳重辰典】

軟式テニスの技術でアメリカで活躍

熊谷は1890年(明治23年)、福岡県大牟田市で生まれた。旧制宮崎中学では野球部の主将を務める一方、軟式テニスもプレーした。

慶應義塾大学に進学すると庭球部に所属。当時、日本のテニスは軟式テニスが主流だったが、慶應庭球部では1913年4月、世界へ挑戦するため日本で初めて硬式テニスに転向する。

熊谷は1914年1月、庭球部のチームメートとともにフィリピンに遠征。マニラで行われた大会ではシングルス準優勝を果たす。翌年の大会では当時アメリカ6位だったグリフィンにシングルスで勝利。その勢いに乗り、1916年には三神八四郎とともにアメリカへ遠征する。

熊谷は軟式テニスの握り方である「ウエスタングリップ」から繰り出される、鋭くドライブのかかった打球で強豪を撃破。アメリカのトップ選手だったジョンストンをも破る。この年には三上とともに全米選手権にも出場。日本で初めて四大大会に出場した選手となる。

大学卒業後はニューヨークの三菱銀行支店に勤務し、アメリカを拠点にテニスプレイヤーとしても活躍する。

1918年の全米選手権では日本人として初めて準決勝まで進出。この記録は2014年に錦織が決勝に進出するまで96年間破られなかった。翌1919年には全米ランキング3位と、世界のトップ選手へと上り詰めた。

1920年、ベルギー・アントワープで開催された第9回五輪のテニス競技に柏尾誠一郎とともに出場。

「私は当時米国で活躍中であったので、各国選手の技能の内容も充分承知し、かつこれらに対抗する自信も充分あったので、優勝の可能性を抱いて参戦した」(東京オリンピック大会組織委員会会報「東京オリンピック」16号)

磨いた腕と世界の強豪と戦った自信を持って臨んだアントワープ大会。一緒に参加した他競技の日本人選手が海外勢に惨敗する様子を見たことで、ますます優勝せねばとの気持ちを強くした。

1/2ページ

最終更新:8月16日(火)10時9分

BuzzFeed Japan