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山口茜が地方都市から飛躍した理由 福井国体を機に育成システム

福井新聞ONLINE 8/16(火) 21:53配信

 リオデジャネイロ五輪のバドミントン女子シングルスでベスト8入りした山口茜。山口の故郷は、福井県北東部の勝山市。人口2万4千人の地方都市から日本を代表するアスリートが育った理由は何か。地域の事情に迫った。(肩書や年齢は2015年1月当時)

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 先にマッチポイントを奪ったのは山口茜(福井県立勝山高2年)だった。バドミントンの全日本総合女子シングルス決勝。前回女王がヘアピンをネットにかけた瞬間、長谷川博幸(57)=勝山高出身、当時ヨネックス=以来27年ぶりとなる勝山出身の全日本覇者が誕生した。会場に駆けつけた勝山チャマッシュ総監督の上田健吾(43)は「やっと勝山から全日本チャンピオンを出せた」。コートではにかむ教え子を、感慨深く見つめた。

 2013年のヨネックス・オープン・ジャパンを日本人初制覇し、一躍全国区となった山口。2014年は日本代表A代表として転戦し世界ランク12位、全日本総合を制し日本のエースに上り詰めた。才能を育てたのは「バドミントンのまち」勝山だ。

 始まりは1968年の福井国体。勝山が会場となり、競技熱に火が付いた。長谷川は小学4年生だった当時、勝山合同体育館で応援。「バドミントンは羽根つきと言われた時代。見たことのない素晴らしいプレーに驚いた」。中学から本格的に競技を始め、80年代に全日本総合を5度制覇。全盛期から母校の勝山高をたびたび訪れ、指導した。

 一回り年下の上田も、長谷川の薫陶を受けた一人。日体大に進み、帰郷して消防士になった上田は、現役を続ける傍ら中学の部活を助ける形で01年にジュニアクラブチーム「勝山チャマッシュ」を設立した。「当時は中学に競技経験のある指導者が少なかった。小、中、高のそれぞれの段階で発達に合わせた指導が必要だ」と感じた。強化が実り、05年に全国中学校体育大会の男子団体で勝山南部中が初優勝。市内3中学が全国でメダルを獲得した。その選手が高校へ進んで結果を残し、一時代を築いた。上田が潤滑油となり、小中高一貫の地域育成システムが回り始めていた。

 「茜は一番いい時期に入ってきた」と上田。一時代を築いた黄金世代のクラブOBが一斉に帰郷していた。小学生で全国大会を総なめにしていた天才少女は、10人を超えるタイプの異なるコーチに磨かれ、男子顔負けの超攻撃的スタイルを確立。世界へ羽ばたいた。

 現在東京に住み、全日本ジュニアヘッドコーチを務める長谷川は「1巡目国体を機に勝山に起きた変革が、長い時間をかけ世代を超えた地域活動として根付いた」と故郷の隆盛に目を細める。強豪選手は小中生のうちから県外へ出るのが当たり前の時代。逆行するかのような地域密着型の「勝山モデル」に、全国から熱い視線が注がれている。

 国体の位置付けは時代とともに変わってきた。各競技団体とも国際大会を優先するため、トップ選手が出なくなったと言われ久しい。だが2014年の長崎国体では、地元出身の体操男子、内村航平(コナミ)が世界選手権から凱旋。大いに会場を沸かせた。「地方にとっては、国体は今でも大きな意義のある大会」と長谷川。3年後の福井国体でも、日本のエース山口が出場すれば、多くの観客が集まる。そしてかつて長谷川が憧れてラケットを手にしたように、次の世代へとつながっていく。

最終更新:8/16(火) 21:53

福井新聞ONLINE