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下河辺淳氏が死去  代理署名問題で沖縄県と国を仲介

琉球新報 8月17日(水)5時0分配信

 沖縄の日本復帰前後から沖縄の振興政策に関わり、1990年代には米軍普天間飛行場の返還・移設問題などに関連して政府と沖縄県の仲介役を担った元国土事務次官の下河辺淳(しもこうべ・あつし)氏が13日午前、老衰のため東京都内で亡くなった。92歳。葬儀は14日に近親者で行われた。
 下河辺氏は1923年、東京生まれ。日本開発構想研究所特別顧問。東大卒業後、戦災復興院に入所。建設省や経済企画庁などを経て、77~79年に国土事務次官を務めた。
 国土庁官僚だった下河辺氏は、初代沖縄開発庁長官を務めた山中貞則氏の命を受け、日本復帰前から沖縄の振興開発計画策定に関わった。後に大田昌秀県政で副知事を務めた吉元政矩氏とも70年ごろからの付き合いがあった。
 95年の米兵による少女乱暴事件以降、大田知事は米軍基地の使用を巡る「代理署名」を拒否し、橋本龍太郎首相と対立。下河辺氏は首相の密使として沖縄に出入りし、96年3月の知事・首相会談に結び付けるなど「パイプ役」として知られた。
 代理署名問題で県と政府の対立が深まる中、下河辺氏は「沖縄問題を解決するために」と題した通称「下河辺メモ」を96年8月12日付でまとめた。メモには、後に橋本内閣が同年9月10日に閣議決定した「首相談話」に盛り込まれた「沖縄政策協議会」開催、経済対策のための「50億円調整費」導入などの提言が含まれており、談話のたたき台となった。
 一方、橋本内閣で沖縄との交渉に奔走した梶山静六官房長官が98年、下河辺氏に宛てた書簡では、普天間返還・移設問題について「シュワブ沖以外に候補地を求めることは、必ず本土の反対勢力が組織的に住民投票運動を起こすことが予測される」と率直な心境をつづっていた。
 「梶山書簡」の存在は今年6月に明らかになったばかりで、「本土の反対運動」という政治的事情で普天間飛行場の県内移設が決められていった内実が浮かび上がった。

琉球新報社

最終更新:8月17日(水)5時0分

琉球新報