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語り部高齢化、ビデオ参加も 小田原で戦争体験を語る会

カナロコ by 神奈川新聞 8月17日(水)9時3分配信

 太平洋戦争の戦渦を生き抜いた市民らがその体験を語る会が15日夜、小田原市内で開かれた。3人が被爆体験や学徒出陣、戦時下での小学校生活について、自らの言葉で語った。ただそのうちの1人は体調不良で会には来られず、主催団体が急きょ、事前に証言を録画して上映。終戦から71年。戦争体験者の高齢化が確実に進んでいることを浮き彫りにした。

 杉本之徳さん(80)=同市栄町=は終戦時、城内国民学校の4年生だった。下校時に米軍の艦載機による機銃掃射に襲われ、雑木林に隠れて難を逃れた。それでも最後まで、学校でも家庭でも「負ける」という言葉を耳にしたことはなかった。杉本さんは「戦争するのは自分たちと同じ人間。そして今も、世界中で起きている。そのことをもう一度、考えたい」と訴えた。

 畑田重夫さん(93)=静岡市清水区=は大学1年の時、学徒出陣した。「一緒に入隊した2千人の中で、今生き残っているのは自分だけ」。もともと体が弱く、入隊直後に陸軍病院に入院。仲間たちは輸送船で中国へ向かい、米軍の魚雷攻撃で散った。だからこそ、言葉に力がこもる。「戦争は最大の人殺し。戦争だけは絶対に駄目だ」

 「お父さん、助けて~、助けて~」。暗くなった会場のスクリーンに映し出された玉沖宏子さん(86)=小田原市入生田=は、あの日の惨状を振り返った。

 14歳の時、爆心地から2・3キロ離れた広島の自宅で被爆。「線香花火を大きくしたような火の玉が、シューッという音とともに飛んできた」。父に助けを求めた。しばらくして目に入ってきたのは、爆風ですべてが吹き飛ばされた風景だった。

 玉沖さんは自らの被爆体験を、この会で初めて語ることに決めた。だが体調が優れず、参加を見送ることに。そこで会を主催した小田原革新懇のメンバーが3日前に玉沖さんの自宅でビデオ撮影し、15分間に編集して上映した。

 革新懇は毎年、終戦の日に「戦争体験を聞き語る会」を開催。これまでに40人近い語り部が戦争の残忍さ、悲惨さを証言してきた。玉沖さんにインタビューした革新懇世話人の北村秀夫さん(74)は実感を込めて話す。「戦争体験者に会場まで足を運んでもらうのは、これから先ますます難しくなる。ならば自分たちが積極的に足を運び、貴重な証言を聞き取ることが必要だとつくづく感じた」

最終更新:8月17日(水)9時3分

カナロコ by 神奈川新聞