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強制動員で水没死した鉱山労働者、71年ぶりの追悼祭

ハンギョレ新聞 8/17(水) 7:18配信

18日、海南郡玉桟橋で鉱夫118人を悼む追悼祭 政府は3度の調査の後も処置なし 「犠牲者の名前を刻んだ追悼碑でも建てられれば」

 日本帝国主義の強制占領期、済州島の基地工事に動員され無念にも水没死した海南(ヘナム)の鉱夫たちを追悼する行事が行われる。

 全羅南道海南(ヘナム)郡の民間団体は18日午前11時、黄山(ファンサン)面三湖(サムホ)里玉桟橋で玉埋(オクメ)鉱山の鉱夫118人の魂を鎮める追悼祭を行う。この日の行事は、無念にも亡くなった鉱夫たちを悼む合同祭祀で始まり、韓国舞踊家のハン・ヨンジャ氏の鎮魂の舞、花源高等学校の音楽教師ベ・ジンソン氏の追悼歌などが行われる。

 この追悼祭は事件発生から71年ぶりに被害地域の民間団体の主導で行われる。昨年は光復70周年を迎え、劇団「ミアム」が鎮魂の儀式を行った。

 黄山玉埋鉱山の鉱夫集団水没事件の犠牲者の遺族会は「何人かの遺族が合同祭祀を行ってきたが、今年は黄山面と門内(ムンネ)面の社会団体が地域の悲しみを慰労する行事を行う」と明らかにした。

 遺族会はこの事件の真相を究明するための学術発表会を開き、犠牲者・生存者の名前を刻んだ追悼碑を建てたいと願っている。

 遺族会のパク・チョルヒ会長(62)は「海南におよそ60人ほどの遺族が暮らしているが、強制動員者の名簿さえまだ知らない。政府が3回も調査しても追悼碑のひとつも建てられていないのが残念だ」と話した。


 日本の浅田化学工業は1924年から黄山面玉洞里の玉埋鉱山を開発し、明ばん石や高嶺土(カオリン)、蝋石などを掘りだした。これらの鉱物は航空機や特殊機械などを製作するのに使われた。日帝は45年3月、米軍の本土攻略を目前に、済州島に陣地を構築するため人々を強制的に動員した。摹瑟(モスル)浦などの基地工事に動員された人々は5カ月後に解放を迎え、やっとの思いで船を手に入れ故郷に向かった。しかし225人を乗せて海南に向かった船は、莞島(ワンド)郡青山(チョンサン)島沖で火災が発生し沈没した。搭乗者の韓国人222人のうち118人が水死し、日本人3人のうち2人も死亡した。死亡者の年齢は16歳から40代半ばまでだった。生存者は日帝の警備艇に救助されたか、あるいは青山島まで泳いだ韓国人104人と日本人1人しかいなかった。この過程で、日帝の警備艇は日本人の救出を終えると現場をそのままにして立ち去ったという証言もある。

 この事件は全羅南道木浦(モクポ)に住む生存者のキム・ベクウン氏(90)などの証言で知られるようになった。政府は57年、2005年、2012年の3回にわたり真相を調査した。しかし、これといった継続処置はなく遺族たちはもどかしさを抱えている。

アン・クァンオク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

最終更新:8/17(水) 7:18

ハンギョレ新聞

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