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韓国軍兵士のDMZ枯れ葉剤被害 「素手でモニュロン撒布し渓谷の水を飲んだ」

ハンギョレ新聞 8月17日(水)18時43分配信

「被害認定期間」に該当しなかったキム・ドンユンさん

 「勤務地が枯れ葉剤の散布地域ではない」とする陸軍と対立したオ・ドンジュさんとは別に、他の休戦ラインの枯れ葉剤被害者もいる。枯れ葉剤法の被害期間の「1967年10月9日から1972年1月31日」に該当しないため、枯れ葉剤の後遺症を病んでいても登録申請さえできずにいる人々だ。

1974年、華川7師団小隊長として赴任
小隊隊員率いて不毛地作戦に5カ月間
マスク着けず非武装地帯に“除草剤”散布

1995年に発病…骨髄癌、脳卒中も
報勲処は除草剤だとし被害不認定
米国法では枯れ葉剤に含める

1971~74年、3、12、25師団での調査結果
ヘリコプター、耕うん機による散布など証言
軍記録の公開要請には責任転嫁と黙殺

 キム・ドンユンさん(64・予備役陸軍少佐)は先月21日、ハンギョレとのインタビューの間、ずっと手足が震えていた。キムさんは多発性骨髄癌の患者で、脳卒中を体験し、異形糖尿病と高血圧を患っている。キムさんは1974年に撒布した枯れ葉剤のために病気になったと主張した。実家と実家の家系を全て調べても、こうした病気に罹った人がいないので遺伝的な発病ではないとも付け加えた。

 キムさんの悲劇は1974年1月に江原道華川(ファチョン)の7師団8連隊に赴任してから始まった。「三士官学校を卒業しGOP(一般哨所)小隊長として赴任したが、軍事用除草剤のテルバモニュロンが積まれていた。この除草剤は粉末状でA4用紙大のカーキ色の袋に入り50包みずつ箱に入っていた」と回顧した。当時キム・ドンユン少尉は赴任した年の5月に小隊隊員を率いて不毛地作戦に投入され、モニュロンを使った。不毛地作戦は境界哨所のGP、一般哨所のGOPでは当然にしなければならないことだった。隊員は素手でモニュロンを撒布した。小隊ごとに配備されていた内規には、不毛地作業をする理由と方法は書かれていたが、安全指針はなかった。大きな草や木は鎌で刈り、小さな草にはモニュロンを撒布した。

 「マスクのような安全装備さえありませんでした。部隊の警戒地域が険しい山なので、不毛地作業をすれば息が上がりました。水で薄めて散布できない条件でした」

 キムさんと隊員たちはモニュロンが雨水と共に流れ込んだ渓谷の水で喉を潤し、歯を磨き、身体を洗った。1974年9月に他部隊に転出し、後任の小隊長にモニュロンを引き渡した。概略6年分の不毛地作業に使える量だった。

 キムさんは予備役に転役した後、1995年頃から各種の疾病が現れると、7師団で隊員たちと撒布したモニュロンを思い出し報勲処を訪ねた。しかし、報勲処は彼を枯れ葉剤被害者とは認定しなかった。前方部隊で枯れ葉剤を使ったのは1972年1月までなので、彼が枯れ葉剤を使ったという時期(1974年5~9月)とは一致せず、モニュロンは除草剤に過ぎず、ダイオキシン成分がないため枯れ葉剤ではないということだ。

 これに対してキムさんは「枯れ葉剤のエージェント・オレンジは鉄柵工事が終わった68年5月以降は使わなかった。エージェント・ブルーとモニュロンが大量に使われた。60~70年代に使ったモニュロンは、除草性能を強化した軍事作戦用の除草剤」と主張した。さらに米国のエージェント・オレンジ法は、その但し書き条項でベトナムで使用した15種類の軍事作戦用除草剤を明らかにし、それらを枯れ葉剤に含めていると説明した。

 また、キムさんは「米国がモニュロンなどを枯れ葉剤に含めているのは、農薬管理法の手続きを無視して軍事用生産を督励し、国家が違法行為をしたことに伴う措置と見られる。韓国も毒性の管理監督手続きを怠りモニュロンを持ってきて散布した以上、その被害者に対して国家が治療や生計の責任を当然負わなければならない」と主張した。

 キムさんは休戦ラインの枯れ葉剤被害者であることを立証するために10余年かけて関連資料を集めた。その資料の中には2000年代初期から休戦ラインの枯れ葉剤問題を明らかにして亡くなった故ユン・チャンナクさん、故チャン・ギオクさんら先輩が収集して譲り受けた文書もある。ユンさんが死亡直前に渡した資料には、陸軍本部が2002年に前方の3師団、12師団、25師団の3個師団を対象に71~74年の間モニュロンを散布した事実の有無をサンプル調査した結果も含まれている。ユンさんらが被害事例を集めて繰り返し真相調査を要求した結果だった。部隊別に当時の勤務者を探したり、部隊史を分析し被害事例が事実であるかを確認したが、山岳地帯ではヘリコプター、平野地帯では住民の耕うん機を借りて散布したなど、注目すべき証言が含まれている。故ユン・チャンナクさんは、韓国休戦ライン枯れ葉剤被害者連合会を設立し、被害を立証するために努力して2007年に亡くなった。今はほとんどの会員たちとも連絡がつかず、既に死亡したものと推定される。

 作戦文書通訳将校として勤務したキムさんは、秘密解除された米軍文書を翻訳し枯れ葉剤被害を立証する資料として活用している。オ・ドンジュさんの訴訟に証拠資料として提出された草木統制計画(CY-68)、韓国での枯れ葉剤使用(TOXIC DEFOLIANT USE IN SOUTH KOREA)文書などは彼が提供したものだ。

 キムさんは「1974年前方地域に除草剤を撒布する計画」という文書も捜し出した。1972年1月までに韓国国内での被害期間を限定している現行の枯れ葉剤法期間を延長するための証拠になりうる。この計画が実際に施行されたかどうかは、部隊別に年間に不毛地作業を何回実施したかを確認すれば良い。GOP勤務指針上、不毛地作業はモニュロンを使う場合には年2回、使わないなら年5回、草を刈って焼却しなければならない。

 しかし、作戦記録の公開要請は黙殺され続けた。国防部は陸軍本部記録情報団に押しつけ、陸軍本部は該当部隊に押しつける形で責任を転嫁し、記録を公開しなかった。文書番号を正確に指摘し情報公開を要請しても「見つからない」と言う。

 「こんな国が民主国家ですか?」。やりきれない思いが震える手から見て取れた。キムさんの希望もオ・ドンジュさんのように国家からまともな礼遇を受けることだ。

 「この先、どれだけ生きられるか分かりません。私たちは最善を尽くして国を守護しました。その過程で病に罹ったのに、国家が治療も慰労もせずに軽んじています。私たちの悲劇に今からでも政府が注意を払うよう願っています」

チェ・イェリン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

最終更新:8月19日(金)11時52分

ハンギョレ新聞

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

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昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。