ここから本文です

ブランド成長の源は「独自性」を磨くこと

ITmedia ビジネスオンライン 8月18日(木)6時10分配信

 ブランドづくりには、必ずしもその企業に歴史や伝統がなければならないということはありません。私は、ブランドづくりの仕事をするにあたって、あえて「ブランドコンセプト」とは言わず、「ブランドビジョン」という言葉を使うようにしています。コンセプトが概念や観念という意味であるのに対し、ビジョンとは、未来像、洞察力、先見といった意味です。すなわちブランドというのは常に未来志向であるべきだと思うからです。

【その他の画像】

 ある商品をブランドとして育てたいとか、企業を成長させたいとか、または地域を活性化させたいと考えること。将来こうなりたいと思い描くこと。未来への思いを描かなければ、企業も地域も、そこに向かって成長することはできません。ビジョンを描くことが「因」となって、成長・発展という「果」があるわけです。

 ところが、経営者の方とお話をしていて「御社はどういうビジョンをお持ちですか?」と尋ねると、往々にして何年後に何億円を達成するというような“数字目標”が返ってくることがあります。「社会からこのように思われる会社に育てたい」というような話をされる方はなかなか少ないのが現実です。

 ビジョンが数字にとどまってしまうと、その数字の達成のために、会社も社員も無理をしてしまいます。それが仕事というものじゃないかとお叱りを受けるかもしれませんが、ここにリスクがあるのです。

 例えば数字の達成のために、やりたくない仕事、あるいは、やるべきでないと思う仕事まで受けてしまったり、場合によっては値引きに応じるといったことが生じてしまいがちです。けれども、数字のためにやりたくもない仕事をすれば、モチベーションは下がります。その結果、仕事の質も落ちるでしょう。値引きに一度応じてしまうと、相手は次も期待してきます。そういう関係を継続しようとすれば、今度はコストの削減が求められてきます。そのコスト削減を実行しようとすれば、次は材料の仕入れ先など、そこにつながるところにモチベーションの下がる人をたくさん生み出してしまいます。

 そうやって無理をして達成した数字は、翌シーズンもまた達成すべき数字になってしまい、結果として“無理をする”スパイラルが働き続けていくことになります。前述したようにブランド力というのは“情熱の総量”ですから、そうなれば、そのブランド力は落ちていかざるを得ません。故に、ビジョンとして数字を第一にするべきではないと私は考えているのです。

 では、何をビジョンの第一に掲げるべきか。やはりそれは、「誰のために、この会社はあるのか」「社会の中で、誰に喜んでもらうためにこの商品を作ったのか」という“何のため”です。そこが揺るぎなくビジョンとして明示されていることが重要で、売り上げとか利益というものは、あとからついてくるものだと考えるべきです。そうでなければ、皆が情熱を傾けられるブランドには育たないでしょう。

 ブランドというものの本質が、マーケットの中でのポジションとか他社との比較ではなく、あくまで自社の“使命を磨くこと”であり“独自性の追求”であり、その内なる独自性を力に変えていくことだというのは、そういうことです。それなりに名の通った数多くのホテルやレストランが、異なる食材を高級食材と偽って表示してお客さまに提供していたことは、単なる表示の問題ではなく、ビジョンが売り上げや利益という数字の追求になってしまうことの危うさを語ってあまりある出来事だったと私は考えています。

●“何のため”の、ど真ん中にくるもの

 少し頭の中を整理しましょう。企業であれ、商品であれ、地域であれ、成長し発展するためには、常に未来に向かって「こうなりたい」「こうあるべきだ」という“ビジョン”を明確に描くことが必要です。一方で、それは売り上げや利益というような単なる数字であってはいけません。数字を追い求めることが第一になると“無理をするスパイラル”が生じやすく、そうなると関わる人々の情熱の総量が高まるどころか下がってしまいます。

 ビジョンとして未来に向かって掲げるべきものは、“何のため”という自分たちの存在理由、自分たちの使命の実現であり、本来の独自性を力に変えていくことです。自分たちが本来持っているもの、一番大事にしているものを磨きあげていく。そのことに、自分たちが最大の喜びとモチベーションを感じ、お客さまを含めて、関わるすべての人の情熱を高めていく。これが「ブランドの力」になります。

 つまり、ブランドとして「独自性」を磨きあげていくことは、“してもしなくてもいいこと”ではなく、前に進むために不可欠なことなのです。時代の変化の激流に飲み込まれることなく、着実に成長し発展するためには、「らしさ」を発見し、それを月々日々に磨きあげていくことが大切です。「独自性」こそが成長の源泉なのです。

 そして、ビジョンの第一に置くべき“何のため”の、そのど真ん中にあるべきものこそ“社員と会社がお互いに幸せである状況”です。

 この“幸せ”の内実については後ほど詳しく考えたいと思いますが、しかしハッキリ言えるのは、株価の上昇やマーケットの中の順位のために会社があるのではないということです。経営者も社員も人です。百年に満たない限られた人生の時間を生きている人です。

 人は誰もが“幸せ”になるために生きています。「この会社を作って、不幸な人生をめざそう」と思う創業者もいなければ、「この会社の利益を上げるために自分は不幸になろう」と決意して入社してくる人もいません。

 働いている人が“幸せ”を感じられないような企業が、お客さまを“幸せ”にできたり、社会をより良くできるはずがないのです。働いても働いても経営者も社員も心が満たされない会社が、20年、30年と発展を遂げられるわけがないのです。

 「誰のために、この会社はあるのか」「社会の中で、誰に喜んでもらうためにこの会社を作ったのか」と問うならば、なによりも経営者自身が“幸せ”になるためであり、共に働いてくださっている人すべてが“幸せ”になるためでしょう。結果的にお客さまや社会に喜んでもらう会社になるためには、ここが明確に最上位に置かれていなければならないと思います。

●「社員を幸せにする会社」の奇跡

 このことを実感できる、素晴らしい会社を紹介しましょう。長野県の諏訪湖から少し南側、天竜川沿いの伊那市に伊那食品工業という会社があります。従業員数500人に満たない、文字通りの地方の中小企業です。

 ところがこの会社は、寒天の製造で国内シェアの80%、世界シェアの15%を占めるメーカーなのです。それだけではありません。この会社は創業以来48年間連続増収増益を達成したことで、トヨタをはじめとする名だたる企業から熱い注目と尊敬を集めているのです。「かんてんぱぱ」という自社ブランド製品と直営店も持ち、東京ドーム2つ分の敷地があるという伊那市の本社には、連日、見学者の他、寒天製品を目当てに観光バスでお客さまがやって来ます。

 それにしても、オイルショックやバブルの崩壊をはじめ、幾多の景気の波があった約半世紀を連続増収増益でこられたというのは、すごいことです。しかも、この会社は「年功序列」「終身雇用」を堅持し、「リストラをしない」のです。

 今や、多くの企業で「成果主義」「能力主義」を掲げ、工場閉鎖や採算の取れない事業の廃止、レイオフやリストラの実施が繰り返されています。伊那食品工業は、そうした“常識”から外れたとも思える経営方針で、奇跡的ともいえる堅実な成長発展を遂げ、国内外に確固たる地位を固め、熱心なファンを抱えておられるのです。

 さらに私が感銘を受けたのは、この会社が「急成長をしない」という明確な主義を掲げていることです。“年輪経営”とうたって、樹木が年々に少しずつ年輪を重ねて成長することを会社の理想とし、意図して“低成長”を続ける努力をされているのです。何度か大手スーパーのチェーンから取引きの申し込みがあった際も、お断りしてきたそうです。

 急成長をめざせば、原材料の確保、設備の増設、人員の確保なども一気に必要になります。それは、ブームの最後や天候不順など、外的要因の変化でつまづくリスクを高めます。樹木の年輪は、若い時は伸び幅が大きい。けれども、成長するにしたがって伸び幅は小さくなります。幅は小さいけれど、必ず増えていく。この会社は、あえてそういう成長のしかたをめざしているというのです。

●経営にとって「本来あるべき姿」とは

 この伊那食品工業の事実上の創業者であり、2005年に代表取締役会長になった塚越寛氏は、著書『「リストラなしの「年輪経営」』(光文社)の中で、次のように述べておられます。

 経営にとって「本来あるべき姿」とは、「社員を幸せにするような会社をつくり、それを通じて社会に貢献する」ことです。売り上げも利益も、それを実現するための手段に過ぎません。 会社を家庭だと考えれば、分かりやすいでしょう。社員は家族です。食べ物が少なくなったからといって、家族の誰かを追い出して、残りの者で食べるということはあり得ません。 会社も同じです。家族の幸せを願うように、社員の幸せを願う経営が大切なのです。また、そう願うことで、会社経営にどんどん好循環が生まれています。 伊那食品工業が半世紀に亘り、増収増益が続けられた秘密も、ここにあります。

 「会社は家庭」「社員は家族」というと、高度成長期の日本の企業で語られていたスタイルのように思われるかもしれませんが、それとはまったく別物だと思います。

 戦後の復興を成し遂げ、高度成長期の日本経済をデザインしけん引したリーダーたちは、1930年代から40年代の「総力戦体制」でエリート教育を受けた人々でした。近年、このことは多くの研究者に論じられています。昭和の日本は、終戦を境に軍事から経済へ衣替えはしたものの、国家の計画のもと、国民が一丸となって突き進むという姿は戦前戦中からひと続きのものだったのです。

 高度成長期に叫ばれた会社を家族に擬する考え方は、国民すべてを戦時体制に動員した戦前戦中のエモーションと、さながら通じ合うものがあります。そこでは、社員は会社を発展させるための“手段”であり、国民は日本経済を強くする“手段”ですらあったのではないでしょうか。「競争のための人間」「企業の利益のための人間」「社会のための人間」です。

 これに対し、塚越氏が貫いてこられた哲学は、社員の幸福を“目的”とするものです。売り上げも利益も、社員の幸せを実現するための手段だと明快に言い切っておられます。その“社員を幸せにする会社”を通して社会に貢献するとおっしゃっているのです。「人のための社会」「人のための企業」「幸せのための働き方」という、21世紀のあるべき姿を、塚越氏は半世紀も先んじて実践し、それが可能であることを証明してこられたと私は思っています。

 インナーブランディングの実践において不可欠な「誇り」と「愛着」というのは、20世紀に強調されていたような、外から与えられる“外発的”な愛社精神とはまったく異なります。そこにあるかけがえのない独自性を自分たちで見いだし、そこから社員個々人の内に湧き出す“内発的”なものです。

●他人の不幸の上に自分の幸福を築かない

 これからの時代、これからの世界を貫くモラルの基軸は、「他人の不幸の上に、自分の幸福を築かない」という一点であろうということを、私は強く確信しています。マニュアル化され、シロクロの判断があらかじめ外から設定されている規則と違い、このモラルは問いかけも判断も自分自身が引き受けなければなりません。まさに“内発的”なモラルです。内発的だからこそ、これを実践することは、そのままその人の尊厳を輝かせていけるのです。

 人が生きていく上でも、事業をしていく上でも、あるいは国と国との関係でも、往々にして、あちらを立てればこちらが立たずといった、利害の絡み合うジレンマの場面というものがあります。それでも最後は何らかの判断を下さなければならないわけですが、そこで大事なことは、簡単に割り切り目をつぶって渡るのではなく、「他人の不幸の上に、自分の幸福を築かない」という自分に対するモラルをゆるがせにせず、葛藤し、熟慮し、忍耐をいとわないことだと思うのです。

 経営者もまた、どんなに誘惑があったとしても、お客さまや社員の不幸の上に会社の収益や、ましてや個人の利益を築くべきではありません。そんなものが永続するわけがないからです。大多数の“負け組”の犠牲の上に一部の“勝ち組”が成立することを自明とするようなゼロサムのマネーゲームなど、決別すべき虚業でしかありません。

 かといって、自分を犠牲にして誰かに奉仕するというのは、理念としては美しいかもしれないし、また瞬間的にはそれが求められる場面があったとしても、これもやはり永続できないでしょう。社員の幸せのため、社会の繁栄のためには、経営者が幸せになり、会社が堅実に長く栄えていく必要があります。

 「企業の在り方、社会の在り方も、“競争の中で生き残る”ためではなく“社員と会社がお互いに幸せである状況”を作っていくため、と根本的に転換するべき段階を迎えている」と述べたのは、そういう意味なのです。

(つづく)

最終更新:8月23日(火)11時14分

ITmedia ビジネスオンライン