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業績回復に導いた、オリオンビールの徹底したブランド戦略とは?

ITmedia ビジネスオンライン 8月19日(金)7時34分配信

 透き通る海、白い砂浜、どこまでも続く青い空……。「沖縄」と聞くと、多くの人がこうしたイメージを抱くだろう。1年を通して温暖な気候に恵まれる沖縄には、今では国内外から年間で800万人に迫る観光客が訪れている。そのピークはやはり夏だ。

【歴代の商品パッケージデザイン】

 沖縄では夏になると各地の海岸でビーチパーティーが開かれる。老若男女さまざまな人たちが大勢集まり、音楽を流しながらバーベキューしたり、お酒を飲んだりするイベントである。美味しい肉を頬張りながら彼らが手に持つビールは、恐らくほぼ同じメーカーのものではないだろうか。地元・沖縄のビールメーカー、オリオンビールである。

 「オリオンビールのブランドは爽快さ。沖縄のイメージそのものを商品に落とし込んでいる」とオリオンビールのマーケティング担当者は語る。現在、オリオンビールの生産量の約8割は沖縄県内で消費されているというように、沖縄の消費者の嗜好やライフスタイルを意識した商品開発を徹底している。

 そうした沖縄ブランドへの徹底ぶりが逆に外からの関心を引き、「現地に行かずとも沖縄を味わいたい」というような消費者からのラブコールが長い年月をかけて徐々に増えていったのである。

 かつては沖縄以外ではあまり飲むことのできない同社のビールだったが、1990年に首都圏で主力商品の「オリオンドラフトビール」を販売開始。1995年には東京営業所を設立し、地道な営業活動の末、今では首都圏をはじめ沖縄県外でもオリオンドラフトの生ビールを飲める飲食店が増えた。

 「東京進出当初は、沖縄からビールを運ぶ運賃コストが問題だったので、ほとんど東京で生ビールを提供していなかった。取り扱う店舗数が増え、ある程度の販売量も見込めるようになったことで東京営業所を立ち上げた」(担当者)

 そして、2002年にはアサヒビールと業務提携。缶ビールはアサヒビールの販路を通じてコンビニエンスストアやスーパーマーケットなどの小売店に卸せるようになったことで一気に販売機会が広がったのである。

 また海外にも販路を広げている。輸出先は、台湾、米国、香港、オーストラリア、シンガポール、ロシア、中国、ニュージーランドなど13カ国・地域。特に台湾は食文化や気候が沖縄と似ており、沖縄に来る観光客も多いため、海外の中でも大きな市場に育ちつつあるという。海外出荷量の大半を占めており、2016年2月には初の海外拠点を台湾に開設した。

 同社の県内出荷量はビール類全体で5万キロリットルを超える。2016年3月期の売上高は前年同期比10.8%増の256億6300万円、経常利益は同60.9%増の29億1500万円と好調だ。

●ビールで戦後復興

 オリオンビールの歴史は沖縄の戦後復興とともにある。

 創業は1957年。当時はまだ米国の施政下にあった沖縄において、ある日、米軍の民政官だったパージャー准将が商工会議所の総会でこれからの沖縄の産業の柱になるのは「セメント」と「ビール」と語った。セメントは建物や道路などを建設するハード面で必要だった。一方、ビールは人々に希望とやる気を与えるというソフト面で大切だというのがその真意である。

 この講演を聞いたのが、オリオンビール創業者の具志堅宗精(ぐしけんそうせい)氏だ。それまで具志堅味噌醤油(現・赤マルソウ)という、味噌や醤油の製造会社を経営していた同氏は、沖縄が戦後復興するための新たな事業を考えていた。そうした中でパージャー准将の言葉を聞いたことで奮い立ち、オリオンビールを設立したという。

 当時はまだ珍しく、一般公募での株式会社として、5000万B円(日本円で約1億5000万円)の資金を集めて、沖縄北部の名護市で事業をスタートした。

 米軍統治下だった沖縄にとってビールは身近なお酒だった。米国のバドワイザーやオリンピアという輸入ビールのほか、サッポロやアサヒといった日本メーカーのビールも販売されていた。ただし、消費者は輸入ビールに味が慣れているので、オリオンビールも彼らの嗜好に合わせたライトなビールを開発することに決めたという。

 それを裏付けるのが、創業まもない1959年に販売したドイツ風のビールだ。麦芽やホップを使った苦味が特徴だったが、まったくといっていいほど売れずに返品が相次いだという。

 その翌年に生ビールを発売。当時は、酵母を除去するろ過技術が発達していなかったので、名護の工場近辺で販売していた。その後、技術進展とともに事業も軌道に乗り、1967年には全島での販売に至った。

 ところで、オリオンビールはなぜ名護を創業の地に選んだのだろうか。

 ビールを製造するにはそれなりの敷地や設備も必要だが、何よりも水を大量に使う。沖縄はサンゴ礁が隆起した島なので、土壌がアルカリ質で、硬水が主流である。ところが、ビール作りに硬水は合わないという。そこで創業前に具志堅氏が沖縄各地を調べた結果、山がある名護では清流で磨かれた軟水が採取できるということが分かり、本社を建てたのだという。現在の本社は浦添市にあるが、ビール工場は依然として名護に残っている。

●沖縄ブランドのエッジを立てる

 1972年、沖縄の本土復帰はオリオンビールの事業にも影響をもたらした。復帰前は市場シェアがピーク時に約9割あったが、復帰後にはそれまで関税という壁があった本土の大手ビールメーカーが攻勢を強めてきたことにより、一時期は苦戦を強いられたという。

 そこで原点回帰に努め、地元沖縄のビールというブランドを改めて強く打ち出した。それに基づくマーケティング活動に専念することで、再び売り上げは右肩上がりに回復した。それが現在までも脈々と続いている。

 「消費者のニーズが多様化し、今ではビール類も多品種になっている。オリオンビールは本土の大手メーカーのように工場がいくつもあって、数多くの商品を出せるわけではない。そこでブランドとして生き残れるような商品を作ることに注力している」(同)

 オリオンビールの味、ブランドイメージ、世界観などすべては沖縄にひもづくよう、商品開発のこだわりは強いという。また広告やテレビCMなども基本的には沖縄出身のアーティストやタレントを起用する。これは決して他社に真似できるものではなく、独自のアイデンティティだとする。

 現在、国内ビール市場においてオリオンビールは大手ビールメーカー5社の中で最下位、シェアは0.9%とわずかだ。しかし、同社の徹底したブランド戦略が市場シェアの数字以上に強烈な存在感を放っていることは間違いない。

(伏見学)

最終更新:8月19日(金)7時34分

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