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島流しもへっちゃら!? 健康食品を食べて南の島で長生きした宇喜多秀家

ITmedia ビジネスオンライン 8月20日(土)8時51分配信

編集部F: 豊臣秀吉という巨星が堕ち、いよいよ石田三成と徳川家康の対立が鮮明になってきました。先週(8月14日放送)の『真田丸』でも一触即発の場面がありましたし、関ヶ原の戦いに向けてカウントダウンが始まりましたね。

【八丈島にある秀家の墓にて】

小日向えり: 家康に対抗して、三成も宴席を設けるシーンがありましたが、集まった武将が少なくて切なかったです……。その中で宇喜多秀家は「ここに集まったのは豊臣家に忠義を誓った真の侍だ!」と威勢が良かったですね。熱っぽくて、まるで戦国時代の松岡修造さんですね。

編集部: 宇喜多秀家と言えば、小日向さんも……。

小日向: 前振りをありがとうございます(笑)。関ケ原女性武将隊「巴組」という3人組ユニットを事務所のタレントで組んでいまして、私がリーダーの秀家役なのです。そのほかは小早川秀秋(夏江紘実さん)と織田秀信(葉月さん)です。

編集部F: この巴組というのは実在したのですか?

小日向: いえ、それ自体はありませんが、3人の武将の共通項はあって、秀吉から「秀」の字をたまわったのと、職位が中納言であるというところです。秀の字をもらったということは、とても秀吉に寵愛されていたわけです。

編集部F: 宇喜多家と言えば、中国地方の一大勢力でしたが、秀家と秀吉の親密な関係性はどのように築かれたのでしょうか。

小日向: 父・宇喜多直家が亡くなり、秀家はわずか10歳で家督を継ぎました。そんな幼少の秀家に目を掛けたのが秀吉でした。元服の際には秀の字を与え猶子に、さらには秀吉の養女で、前田利家の娘である豪姫を秀家の正室にしました。外様だったのに豊臣一門にしてもらったことで、秀家は秀吉に対して深い恩義を感じることになったのです。

編集部F: そこから強い忠誠心が芽生えたのですね。たしか以前ドラマの中でも「秀吉様のためなら死ねる」という発言をしていました。

小日向: 北条氏の小田原攻めや朝鮮出兵でも武功を上げ、五大老の一人に任命されました。関ヶ原の戦いでは西軍の主力部隊として1万7000人の兵を率いて、福島正則などと激戦を繰り広げました。ただ、小早川秀秋の裏切りによって西軍は総崩れ、秀家の部隊も壊滅しました。

編集部F: 同じ巴組なのに……。

小日向: 関ヶ原の戦いの後、しばらくして八丈島に流されました。どうやら八丈島の公式史上初めての流人だったそうです。その後、この島から出ることなく84歳で亡くなりました。

編集部F: 84歳! 随分と長生きしましたね。

小日向: 以前、流人の歴史を探る番組で、レポーターとして八丈島に行かせてもらったことがあります。そこで話を聞いたのは、八丈島は自然が豊かなので流人もお魚など意外と良い食べ物を食べていたみたいです。また、宇喜多という家柄があるので現地の人たちの扱いも良く、豪姫からの仕送りもずっと届いていたようで、そんなに苦しい生活ではなかったんじゃないかと思います。豪姫は加賀百万石・前田家のお嬢さまですからね。

 長生きする健康の秘けつもきちんとありました。八丈島はアシタバという植物が名産で、これはとても美容に良いものとして知られています。青汁にも入っています。特にアシタバが女性にとって嬉しいのは、セルライトを落とす効果があると言われているからです。

 セルライトはお腹などの皮下脂肪にあるボコボコした組織で、女性は皆それをつぶすためにエステなどに行くのです。

編集部F: きっと秀家もアシタバを食べて、健康を維持したのでしょうね。関ヶ原で敗れたのに、温暖な南の島で悠々自適な暮らしをして、長生きしたなんて、秀家は幸せな人生だったのでは。

小日向: そうかもしれませんね。秀家は忠義を貫いて、最後まで気持ち的にも豊臣家のために戦い抜いたから、関ケ原の戦いで負けても納得している部分はあったでしょう。三成は処刑されましたが、秀家は生き残り、八丈島で余生を送ったわけですし。

 ところで、秀家の肖像画は一風変わっていますよね。彫が深くて漫画タッチ、少女マンガのヒーローみたいです。

編集部F: 当時にしては長身で、容姿端麗だったようです。ますます幸福な一生を過ごしたことでしょうね。

最終更新:8月20日(土)9時4分

ITmedia ビジネスオンライン