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SMAPが築いた先駆者としての功績、平坦ではなかった道のり 後輩想いで人想い

MusicVoice 8月21日(日)8時5分配信

 SMAPの解散が発表され、1週間が経過した。各メディアが大きく報じる様子からは、改めてSMAPという存在の大きさや影響力のすごさを思い知らされた。現時点では、まだメンバー5人揃っての会見はおこなわれていないが、稲垣吾郎を皮切りに木村拓哉、中居正広がそれぞれのラジオ番組で解散について言及し、日を追うごとに事実であることを突きつけられている。

 いまでは国民的アイドルとして君臨するSMAP。しかし1991年のデビュー当時はアイドル氷河期と呼ばれるほど、決して恵まれた環境ではなかった。男性アイドルグループの先駆者として歩んできた道のりは、決して平坦なものではなく苦悩の連続だった。彼らの変遷をたどると、なぜこれほどまでにファンの支持を得ているのかが見えてくる。

男性アイドルの在り方を変えた先駆者

 1991年のCDデビューから25年間。結成から数えれば28年という、とてつもなく長い時間のほとんどを第一線で活躍してきたSMAP。男性アイドルグループとしてここまで息の長い活動をしているのは前代未聞のことで、音楽CDのミリオンセラーにバラエティ番組への進出、ソロでの活動と、SMAPが築いてきたものは計り知れない。

 KAT-TUNの中丸雄一も、解散が発表された14日放送の日本テレビ系『シューイチ』で「男性グループとはどういういったものかという方向を提示したモデルケース、先駆者だと思う。少なからず、同じ事務所の後輩は影響を受けている」と讃えている。

 歌って踊ることはアイドルの主軸だが、SMAPがデビューして直面したのは音楽番組の衰退期だった。なにより、社会現象級の人気を誇った「光GENJI」の存在があった。

 稲垣吾郎は2014年に出演した番組でデビュー当時の頃を「僕らの1つ上の先輩は光GENJIさんだったんですけど。“YOUたちは光GENJIのメンバーの1人にも6人はおよばない。ファンの数が”と、はっきり言われた記憶があります。だから頑張らないといけないな、と」と振り返っている。

 また、木村拓哉は、SMAP初のコンサートを「オープニングの幕があいたら、2階のスタンド席に2人しか観客がいなかった」とも回顧した。苦戦を強いられた彼らは、バラエティや俳優業へと舵を切ることで活路を見出す。

 その道もまた決して楽なものではなかった。中居正広と俳優の故・今井雅之さんのケンカ話に象徴されるように、当時はまだアイドルが他の分野で活動することに対して風当たりが強い時代だった。それは“アイドル出身”という色眼鏡で見られる事を、今なお後輩たちの口から聞こえてくるだけに、当時のアウェーぶりは容易に想像がつく。しかし、こうした逆風にもめげることなく、ひたすら突き進んできたSMAP。

 98年の『夜空ノムコウ』、2000年の『らいおんハート』でミリオンセラーを記録。2003年には『世界にひとつだけの花』でダブルミリオン達成の記録を樹立した。NHK紅白歌合戦では、中居が単独で紅白の司会を務めたり、2003年にはグループで大トリを務めたりと、お茶の間での認知度もあがっていった。コンサートも、史上初の5大ドームツアーに、動員数1000万人を突破するなど、前人未到の記録をいくつも打ち立てている。

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最終更新:8月21日(日)8時5分

MusicVoice

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。