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働く者の文化求め 川崎文化会議が50年誌

カナロコ by 神奈川新聞 8月21日(日)20時30分配信

 戦後の川崎で働く者の文化を求めて発足した川崎文化会議が、半世紀にわたる活動を記念誌にまとめた。団体の活動記録にとどまらず、市内の文化的な出来事に関する記述や年表も付け、同会議は「行政と市民が協働して高めてきた市民文化の歩みとしても読んでほしい」としている。

 タイトルは「川崎の文化を創りつづけて~川崎文化会議50年のあゆみ」。A4判で73ページ。会議結成やその誕生を応援した革新市政の伊藤三郎市長時代、発表の場となる市民会館など施設要望活動などをつづった。

 戦後の川崎は京浜工業地帯の中心都市として全国から若い労働者が集まり、職場や労働組合では演劇や合唱などの文化サークルが盛んだった。1960年の日米安全保障条約改定への反対運動を経て職場を超えた交流が広がり、川崎文化会議の結成につながったという。

 川崎文化会議の現議長の城谷護さん(75)は説明する。「地方から集まった若者は働きながら心の潤いとなる文化を欲していた。一緒に会場を借りて発表するようになり、次第に日常的に協力し合える組織をつくろうという機運が生まれた。文化会議は川崎でできるべくしてできた」

 64年8月の結成総会では働く者の文化を自主的に高めていくことなどを目的に劇団、合唱、文学などの団体や個人が参加。初代議長は劇作家として活躍した京浜協同劇団議長の黒沢参吉さんだった。

 また71年に初当選した伊藤三郎市長の下では、文化行政に対する提言を行う市総合文化団体連絡会(総文連)を市文化協会と各区文化協会と結成。文化行政の発展に尽力した。建設される市内施設に対し舞台芸術活動の観点から要望活動も展開した。

 現在、13団体12個人が参加する同会議。城谷さんは「今では労働者の文化という性格から変わらざるえないが、他の文化団体とも協力しながら今後も平和を大切にする市民文化を高めていきたい」と話している。

最終更新:8月21日(日)20時30分

カナロコ by 神奈川新聞