ここから本文です

国際通りの土産品店、50年で171軒増 通り全体の6割以上

沖縄タイムス 8月21日(日)14時55分配信

 沖縄の観光地として知られる那覇市の国際通りに面した土産店は2015年で176軒あり、1963年の5軒から171軒も増えていることが17日までに分かった。これは通り全体の店舗の62%を占める。那覇の歴史を取材している真栄田義勝さん(75)が国際通りをくまなく歩いて調査し、52年前と現在の移り変わりを初めて比較することができた。戦後、目覚ましく発展した“奇跡の1マイル”が、地元の人に愛された街から観光の街へと移り変わった足跡が見えた。(デジタル部・與那覇里子)

この記事の他の写真・図を見る

 真栄田さんは2015年6月18日から7月18日にかけて国際通りを歩き、1軒1軒、店舗名と業態を地図に書き込んでいった。土産品店は、アクセサリーや香水などを扱う装飾品店が42軒、かりゆしウエアやTシャツなどを扱うオリジナルの衣料品店が39軒、お菓子や酒など、多彩なおみやげをそろえる店舗が31軒と続いた。土産店を除くと、食堂や食品加工の店が45軒、喫茶店が15軒、ホテル12軒で、コンビニや銀行、カラオケ店などは少数だった。

 1963年の店舗は、那覇市歴史博物館に所蔵されている「那覇市主要通り商工案内」を元に調べた。最も多かったのは雑貨店で76軒、時計やメガネ店が49軒、衣料品、電化製品を取り扱う店がそれぞれ26軒、会社の事務所や書店、学用品を扱う店などは各22軒だった。ほかにも家具店や理髪店、病院、パチンコ店、デパート、映画館などがあり、現在の国際通りにはない地元の人向けの店が並んでいたことが分かる。

 真栄田さんは「63年はまだ観光立県を打ち出していなかった時代だったが、今は多くの観光客が通りを訪れる。商売人の集まる通りだから、時代のニーズに応えているのではないか」と分析。国際通り商店街振興組合連合会の砂川正信さんは「10年前はまだ6~7割の店舗を沖縄出身者が営業していた印象だが、本土や海外の企業が積極的に進出し、生き残るために競争が激しくなっている。観光客のニーズがなければ商売が成り立たない」と説明した。

 そもそも、なぜ真栄田さんは、国際通りの店舗調査をしているのか。

 真栄田さんは元小中学校の校長。定年退職後は沖縄女子短期大学で教べんを執っていた。2010年、大学の学生らと沖縄県の市町村をテーマにした「沖縄大好きかるた」を作り、平和通りでかるた取り大会を開催していた。そこに、当時、那覇市長だった翁長雄志氏も参加しており、「那覇のかるたも是非作ってほしい」と依頼があった。そこで、退職した校長や大学教授、保護者に声を掛けて「那覇ナビ友の会」を結成。那覇のことを知ろうと、資料を集め、新聞記事を切り抜き、取材に出かけている。国際通りの調査もその一つだった。「子供たちに那覇を大好きになってもらいたい。そのためには、ちゃんと現場に行って確かめて調べないと、子供たちに教えることはできない」ときっぱり。だから、日頃から様変わりしていく「地域の姿」に関心を持ち、カメラやメモ帳を手に街を歩く。

 実は、記者も1軒1軒、国際通りの調査をしようと思ったが、途中でギブアップした。ノートに地図を書き、店名を書き込む作業はかなり根気がいる。店舗の入れ替わりが激しく、データの更新も必要だった。そこで国際通りの全店舗をまとめた資料がないか、那覇市観光協会と同連合会に問い合わせたが、存在しなかった。真栄田さんの調査でようやく把握と分析ができた。

 真栄田さんは名護市出身。琉球大学を卒業後、教員として働き始めた。そのころから、国際通り周辺を歩いている。昨年、ある変化に気づいた。国際通りから1本入った平和通りやむつみ橋通りの歩道や店舗の中に椅子が置かれるようになったことだ。観光客が商品を買うだけではなく、買った場所で椅子に座り、話をしている姿をよく見かける。

 「観光客は地元の人と話したい。そのニーズにいかに国際通りの店が応えていくかが課題ではないか。大事なのは観光客を迎える気持ち。来て良かったと思ってもらうためのコミュニケーションを気軽に取れるような策を打たないといけない」と提案する。真栄田さんは今、国際通り周辺の通りに観光客が訪れることで、店舗の姿が様変わりしている様子を調査し続けている。

 国際通りを歩くと沖縄の人の姿はなかなか見えない。前も後ろも国内外の観光客ばかりだ。記者が買いたい物は通りに並んでいない。しかし、沖縄の復興を支えてきた人たちのおかげで、観光客が集まる今の国際通りがある。大型クルーズ船による外国人観光客が増える中、2020年の東京五輪に向け、沖縄を象徴し続けてきた通りは、これからどう変わっていくのだろう。

與那覇 里子

最終更新:8月21日(日)14時55分

沖縄タイムス