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【いま大人が子供にできること(16)】 今年の小1は「足首」を知らない!

ニュースソクラ 8/22(月) 12:00配信

話しかけられていない赤ちゃんを、待っているもの

 前回、赤ちゃんに話しかけて……というお話をしました。

「えっ? なんでいまその話?」とお思いになったかたもいらっしゃったと思いますが、それは今年、遂に影響がでてきたからです。

 2008年の七月に新しいスマホが出てきたときに、これは困ったことになるかもしれない……という予感はありました。

 新しいケータイは電話の域を越えていました。
 まさにポケットに入れられるミニパソコンで、これからはこれ一つでなんでもできるようになってしまうかもしれない……と思わせるものがありました。

 でもその影響がわかるのは六年後…… その前後に生まれた子どもたちが小学校の一年生にあがってきたときです。
なので去年辺りから何もなければいいが……と思いながらちょっと陰鬱な気持ちでいたのですが、案の定、今年、あちこちの学校司書から「なんか今年は変です……」という話が上がってきたのです。

 もちろんここのところずーっと何年も、子どもたちが日本語が書けない、というのが話題になっていました。
 大学生がまともに文章が書けない、というのはすでに常識です。

 でもまあそれは当たり前といえば当たり前の話で、いまの学校ではそもそも文章を書くやりかたを教えていないのですからできなくても当然なのですが、でも少なくとも会話はできていた……。

 それが、今年の一年生たちにはそもそも日本語が入っていないのではないか、というのです。

 5、6、7才というのは二語文で話す時代です。つまり「お水、ちょうだい」みたいに話すわけで、それに対しまわりの大人は「きちんと話しなさい」という指導をする時代なのです。
「喉が乾いたのでお水をください」というように。

 ただ、なぜそういう指導をしなければならないか、ということは明確に意識していなかった、だから言語化して説明もできなかった、と思います。
 おそらく経験的にそこでそうしないとヤバイ、ということを知っていたのでしょう。

 二語文は、単語を覚えれば話せます。
 それに対し、きちんと話す、というのはちょっと大袈裟に感じるかもしれませんが文法を使って話す、ということで、これはものすごく大事なポイントなのです。
 文法を使って話せない、書けない、ということは日本語で思考することができない、ということなのです。

 子どもたちはまわりの大人がそういう話しかたをしているのを聞いて、そうか、こういうときはそういえばいいのか、と思い、覚え、使えるようになっていきます。

たとえば図書館に行った時にお父さんやお母さんが「〇〇の本はどこにありますか?」と聞いているのを聞いていて、そうか、こういえばいいのか、と学んでいくわけです。
 もしくは、こういうときにはこういえばいいのよ、と教えられて使えるようになります。

 ということは、まわりの大人が誰もそう話していなければ、聞いたことがなければ当然使えない、そういう風に常日頃教えられていなければ使えない、のいうことでしょう。

「もう今年はそれ以前に単語が入っていない感じがするんです」といった一人の司書は、たとえば、といってこの前の体育の時間の話をしてくれました。

「はーい、足首をつかんで~」と教師がいったところ「足首って、どこ?」という騒ぎになってしまい、授業が中断してしまったのだそうで、今年は万事がそんな感じで「ええっ、そこから?」ということが頻繁に起きるんです、と。

 子どもたちは賢いので、一度説明されて納得すれば、一度でその単語を覚えます。
「足首って、ここよ」といわれればーー。
 つまり、それまで一度も、足首、ということばを聞いたことがなかったのでしょう。

 こちらがいったことが通じない。そうして、子どもたちがいってることもよくわからない……のだそうです。

「本を持ってきて、もう一回、という子がいて、えっ? この子、この本借りてないのに、なにいいたいんだろ?」と考えて、あー、この本を『借りたい』のか!! ということがありました」
というのです。

 おそらく前に他の子がもう一度、といって借りたのを見ていて、借りたいときにはそういえばいいのか、と思ったのでしょう。
「そういうときにはね、この本を貸してください、っていえばいいのよ、というようなことをほぼ毎日毎時間いっているような気がする……。もう自分が何屋なのかわからないんですよ~」

 意思の疎通が難しい……。
 もう、図書館員というより日本語指導員だと思います、とその司書はため息をついていいました。

 単語を知らない……。
 相手のいうことがわからない…。
 自分が伝えたいことが適切な日本語で表現できない……。
 つまり、一言でいえば、日本語を聞いたり話せたりできない、のです。

 先生方は、日本で生まれ育ったのだから当然日本語はそこそこできている状態で小学校に入学してくると思っています。

 でも、赤ちゃんの時から話しかけられていなかったら日本語は覚えられません……。
 日本語で会話をしていないのなら、会話もできないのです。

 最近は、かなり大きくなっている子をベビーカーに乗せている女性がとても増えました。
 ベビーカーだと顔は見えません、話もできません……。そうして自分はパチャパチャ、スマホしてるのです。
 ということは、子どもは眼中にない…… そこにいるのに意識してない、いないのです、子どもなんて……。

 手をつないで歩いていればどうしたって意識しないわけにはいきません。
 話しかけない訳にはいきません。
 東京ではとても危なくて歩かせられない、のかもしれません。

 でもそれならスマホはやめて!
 話しかけて!
 子どもの顔をみて、話を聞いて!
 そこに子どもがいることを意識して! と思います。ベビーカーに乗せていてもいいから……。

 スマホ自体が悪いわけではありません。
 でもスマホは人に話しかけなくてもいい口実を作ってしまった……。
 子どもといるのに、子どもと話さなくてもすむ道具になってしまった……。
 スマホは遠くの人とは都合のいい部分だけ繋がることができ、でも、目の前のリアルの現実からは簡単に逃げ出せる道具として使えてしまうのです。

 それは、目の前の現実から(子どもから)逃げ出したい、という気分になっていた人たちに格好な道具になってしまったのでしょう。

 子どもが変わるのは子どものせいではありません。子どもが変わったのではなくて、大人が変化したのです。

 子どもの語彙が乏しくなったわけではない……。大人の語彙が乏しくなったのです。
 話しかけてもらえないのなら、日本語を覚えることはできません。

 以前、アラサーの女性たちが絵本を読んでくれなくなった、という話をしました。絵本だけではなく、話もしてくれなくなっていたわけです。
 絵本を読むボランティアのなり手もめっきり減りました。というより、最近は当然のように「お金、もらえないんですよね? なのになんでそんなことするんですか?」といわれます。
 お金ももらえないのに他人のために働くなんて信じられない、のでしょう。

 でもそれを怒っても始まらない……。
 人が変えられるのは自分だけです。他人は変えられません。
 だったらいま、その子どもたちになにができるか?! どんなフォローをすればいいのか……?!

 せっせと日本語教師をするしかないでしょう。

 なので「雑談は、お嫌いですか?」と前回、申し上げたのです。
 あまり得意ではなくても、お父さんたち、子どもに話しかけてください。
 お話してください。
 絵本、読んでやってください。
 なにもない、空中に雑談するよりは、絵本を読むほうが書いてある文章に頼れるのでらくちんです。それに絵本の文章は、文法を使っている日本語です。

 誰でもいい。子どもたちに日本語を話してやる人が必要なのです。よろしくお願いします。

■赤木 かん子(本の探偵)
1984年、子どもの本の探偵としてデビュー。子どもの本や文化の評論、紹介からはじまり、いまは学校図書館の改装からアクティブラーニングの教えかたにいたるまで、子どもたちに必要なことを補填する活動をしている。高知市に「楽しく学校図書館を応援する会」として学校図書館モデルルームを展開中……。著書多数。

最終更新:8/22(月) 12:00

ニュースソクラ

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。