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<特別連載>ミャンマーのロヒンギャ問題とは何か? (21)軍政の国籍法がロヒンギャを追い出した 宇田有三

アジアプレス・ネットワーク 8月22日(月)10時5分配信

Q.地図でみると、ラカイン州は北から南に長いですね。
A.ミャンマー国内のロヒンギャ・ムスリムの人口はおよそ80万人です(国連推計)。その大多数がラカイン州に暮らしています。さらにラカイン州の北部マウンドー、ブーディーダウン、ラディダウンの3つの町にその人口が集中しています。

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これらの町では人口の約9割近くがロヒンギャ・ムスリムで、仏教徒のラカイン人は少数派です。ミャンマー全土の仏教徒の約9割が仏教徒だから、このラカイン州北部の地域では反対の状況なんですね。

だから「ラカイン州」という説明を加えるとき、ロヒンギャたちが大多数の「ラカイン州北部」なのか、それ以外の地域なのか、明示する方が適切でしょう。

Q.アラカン山脈がラカイン州をミャンマーの他の地域と隔てていることに関係あるのですか?
A.ラカイン仏教はアラカン王国下で、ミャンマー仏教とは異なる独自の仏教世界を作ってきたと説明してきましたね。
ミャンマー独立(1948年)前後の不安定期、ラカイン州は独自の地域自治を目指しました。その頃はまだ現バングラデシュ(東パキスタン)との国境ははっきりと画定していませんでしたから、人の移動は緩やかでした。

そこに暮らすムスリムたちは、ミャンマー国内のアラカン地域に仏教徒中心のラカイン州ができると、自分は少数派になってしまうことをおそれ、ムスリムたちは独自の自治権獲得の闘争を始めたのです。

最大都市ヤンゴンもインド系の人の数は多かったですけれど、バングラデシュと直接に接するこの地域にムスリムが大勢暮らしていたのです。

独立後のウー・ヌー政権は、アラカン地域だけでなく、全国規模で武装闘争を引き受けなければならない状況でした。新政権はそこで、ムスリムたちの保護を約束する意図で、ラカイン州北部に独自のムスリム地域(マユ辺境行政区)を認めたのです。そのムスリム保護地区が今のラカイン州北部の今の状況に引き継がれたのです。

歴史的に見て、ミャンマー民族の側は、ミャンマー西南部の海岸線を支配していたラカイン民族の「アラカン勢力(王国)」の復興意識を抑えたいという意図もあったようです。

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最終更新:8月22日(月)10時5分

アジアプレス・ネットワーク

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

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