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カンボジア代表・猫ひろしの「素顔」と「日本人帰化問題」を追う

ITmedia ビジネスオンライン 8月23日(火)11時50分配信

 リオデジャネイロ五輪が閉幕した。日本が過去最多のメダル41個を獲得し、その熱闘に酔いしれながら連日寝不足に陥っていた人も多いはず。だが最終日の21日に行われた男子マラソンは1人の“元日本人選手”が日本勢3人を話題だけで完全に飲み込んでしまった。カンボジア代表のお笑い芸人・猫ひろし(本名・滝崎邦明)だ。

【猫ひろしの画像】

 猫は155人中139位(リタイアは15選手)で完走。最下位のアブドレ・メスカル(ヨルダン)とのデッドーヒートを展開しながら最後は振り切り、完走した選手の中では下から2番目のタイムだった。2時間45分55秒で“ブービー賞”ながらも、持ち芸の「ニャー」のポーズでゴール。残念ながら日本の中継局だったNHKではこのシーンが映像で流されなかったものの、レース当日のネット上ではYahoo! の「検索データ」で「猫ひろし」のワードが1位に躍り出るなど話題を独占していた。

 ちなみに3人の日本勢はいずれも惨敗だった。佐々木悟が2時間13分57秒で16位。石川末広が2時間17分08秒で36位、北島寿典は2時間25分11秒の94位に沈んだ。確かに猫よりも上位とはいえ、日本勢3人はお笑い芸人を本業にしているマラソン弱小国の代表選手とは違って歴とした実業団選手だ。それだけにメダル獲得もしくは最低でも入賞が期待されていたが、レース中もまったくと言っていいほど見せ場を作れないまま終わってしまった。

 そんな尻すぼみの日本勢3人よりも、紆余曲折ありながら夢の五輪出場を成し遂げた猫の力走のほうがよっぽど興味深いと思った人が大半だったようである。

 猫も成績だけを見れば、間違いなく惨敗。しかし何度も繰り返すが、彼の本業はWAHAHA本舗所属のお笑い芸人だ。それまで門外漢だったはずのマラソンに挑戦し、国籍を変更して五輪代表の座をつかみ本大会出場も果たして完走を果たすまで8年半――このサクセスストーリーには賛否両論あるにせよ、本当に実現させてしまったことにはもう「見事」という他にない。

●猫に対する批判の声はいまだ根強く

 一方で今はだいぶ沈静化してきているが、縁もゆかりもないはずのカンボジアへ国籍を変更してまで五輪代表となった猫に対する批判の声もいまだ根強く残っている。先にも挙げたようにカンボジアはマラソンの強豪国ではない。IAAF(国際陸上競技連盟)が五輪出場のレギュレーションとして定めている男子マラソンの参加標準記録は(A)2時間15分、(B)2時間18分の2タイプ。

 1カ国につきAのタイムを突破した選手ならば最大3名、Bならば1名が代表選手として出場可能というのが、そのルール。そして最低ラインのBに届く選手がいないカンボジアのような国については代表1名の枠が与えられる。2011年11月にカンボジア国籍を取得した猫は、この枠を巧みに利用してつかんだというわけだ。

 最も猫へのバッシングがピークに達したのは、間違いなく2012年のロンドン五輪代表選出のときだろう。同年2月の別府大分毎日マラソンで2時間30分26秒のタイムをマークしたことが評価され、前回の北京五輪代表だったヘム・ブンディンを差し置いて猫がカンボジアのロンドン五輪・男子マラソン代表に選出。しかし日本国内から疑問の声が数多く上がり、日本陸上競技連盟やマラソン関係者からは辛らつな批判も向けられた。

 騒動を懸念したIAAFが結局「(ロンドン五輪の時点で)国籍取得から1年未満かつ連続1年以上の居住実績がない」ことなどを主な理由に、猫のロンドン五輪代表選出を認めず、カンボジア側へ通達。最終的にカンボジアのオリンピック委員会も受理したことで猫のロンドン行きの夢は絶たれてしまった。

 この当時の猫は、まさに四面楚歌。ネット上でも「五輪に出る売名行為のためにカンボジアを利用しようとした」「どうせロンドンに出られないと決まったら日本国籍にすぐ戻すに決まっている」「逆に出場できなくなってネットで“炎上”したことで、名前が知られて良かったんじゃないか」などと書き込まれ、袋叩きにあった。

●慈善事業をひっそりと行う

 それでも猫はこうしたブーイングに一切反論せずにカンボジア人のまま1年のうち3~4カ月は現地に住み、日本国内で芸人活動も続けながら両国でマラソンのトレーニングに真剣に取り組んだ。東南アジア競技大会やアジア競技大会にもカンボジア代表として出場。カンボジア語も密かに勉強しながら地道に陰の努力を重ねた。

 とある事情通は、猫についてこのように語った。「『カンボジアで“あれこれ”をやっていますというアピールみたいなことは言いたくない』というのが彼の口ぐせ。食べていかなきゃいけないので日本で芸能活動はやっていますが、カンボジア国内においての活動や生活ぶりは自分のTwitterでファンへ日記的に発信する以外はほとんど“PR”していなかった。『次のリオを真剣に狙いたいんで』と言ってメディアの取材もあまり応じないようにしていたそうです」と。

 自身のスポンサーとなっている日本の衣料メーカーの全面バックアップを得て、カンボジア国内の恵まれない子どもたちに靴下をプレゼントする慈善事業も行うなど知られざる貢献も実はここ数年ひっそりと続けている。

 それから念押ししておくが、カンボジア代表としての五輪出場プランを最初に持ちかけたのは、猫ではなくあくまでも同国のオリンピック委員会側だ。2010年にアンコールワット国際トライアスロン大会(6月開催・6位)、アンコールワット国際ハーフマラソン大会(12月開催・3位)でいずれも上位にランクインを果たしたことが評価されてラブコールを送られたことが、そもそものきっかけである。

 「猫の“商業価値”に目を付けたカンボジア政府が国をPRできると考え、観光客を誘致するなど日本からの経済活性化を目論んだ」ともささやかれている。いずれにしても突然のごとく白羽の矢を立てられながら相手国の国籍変更オファーに乗っかり、一度は挫折しそうになるも五輪出場を諦めなかった猫の愚直さは賞賛に値する。

●日本国籍に戻すのか

 しかしながら単に手放しで激賞するだけでなく、最後にもう1つ大事なことを補足しておきたい。カンボジア代表としてリオ五輪・男子マラソンに完走した猫の「今後」だ。多くの人は当然、カンボジア国籍を持ったまま今後の活動を続けていくことを求めているに違いない。だが一部からは「五輪出場という大きな目的を果たせたことで、猫は近々にも日本国籍に戻そうとするのではないか」との疑惑も飛び交い始めている。

 事実、猫にとってはカンボジア国籍へ一度変更したとしても日本国籍を再取得する段取りはそれほど難しい作業ではなさそうだ。国籍法の第8条には「次の各号の一に該当する外国人については、法務大臣は、その者が第五条第一項第一号(引き続き五年以上日本に住所を有すること)、第二号(二十歳以上で本国法によって行為能力を有すること)及び第四号(自己又は生計を一にする配偶者その他の親族の資産又は技能によって生計を営むことができること)の条件を備えないときでも、帰化を許可することができる」との文言があり、その「次の各号の一」の一文には「日本国民の子(養子を除く)で日本に住所を有するもの」と記されている。

 猫の両親は日本人で「日本国民の子」となり、日本人の妻や家族と住む家が日本国内にある。つまり法律上の問題はクリアされていることから、後は法務大臣が許可すれば猫は日本人に戻れるということになるわけだ。

 もし猫が今後すぐさま帰化申請を行った場合、世間から猛反発を食らうことは必至だろう。「他国を利用して五輪に出場するため国籍を変更しても、またすぐに日本人に戻れる」という安易な抜け道を認めてしまえば近い将来も“第2、第3の猫”が次々と現れていくに違いない。

 せっかく苦労を重ねながら夢をつかみ、そしてこれだけのインパクトを日本中にも与えたのだ。そのチャンスを与えてくれたカンボジアに猫は今後もしっかりと“恩返し”を果たしていくべきである。

(臼北信行)

最終更新:8月23日(火)12時48分

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