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<特別連載>ミャンマーのロヒンギャ問題とは何か? (22) 人口など全体像が分からないロヒンギャ 宇田有三

アジアプレス・ネットワーク 8月23日(火)11時1分配信

Q.英国植民地時代にどのくらいの人がミャンマー側に来て、どのくらいの人がラカイン州.北部の「マユ辺境行政区」に住み着いたのですか?
A.ロヒンギャ問題をややこしくしているのが、その人口を示す数字があまりにもはっきりとしないことです。全体像が分からないのです。それには次のような理由もあります。

【写真を見る】宇田有三ミャンマー報告 青い眼の人びとが暮らす村

軍事政権下のミャンマーで1992年、通称「ナサカ」という国境警備隊が創設されます。実はこの組織が問題なのです。ミャンマーで2016年、国民民主連盟(NLD)の新しい政権が活動を始めると、主要な問題として、民主化問題、民族問題、麻薬問題とならんで「汚職問題」が議題となりました。

国際的に発表される各国の汚職度で、ミャンマーは毎年、その度合いの酷さを指摘されています。社会の裏にはびこった悪弊は、民主化したからといっても一朝一夕で解決されるわけではありません。(もともと汚職が蔓延したのは、軍政が長かったためです)

Q. ミャンマーの汚職と「ナサカ」という国境警備隊が関係あるのですか?
A. その「ナサカ」や土地の役人が賄賂を受け取って、バングラデシュ側から多くのバングラデシュ人をミャンマー側に入れたのです。ただ、どのくらいの人がバングラデシュからミャンマー側に不法入国を許したのか、その実数まったく分からないのです。その人たちは、実際に市民権を持っておらず不法移民です。

でも、20年以上、ミャンマー留まり、そこで暮らしていたら生活基盤がそこに出来てしまいます。この間、腐敗した役人や国境警備隊それに、ラカイン人・ミャンマー人・ロヒンギャたちの人身売買業者などが活動してきました。民政移管後、これらの役人の罪を問う声を聞いたことがありません。

Q. なんだか複雑な歴史がからんで一筋縄では理解できないですね。
A. 私自身、ミャンマー人、ラカイン人、ロヒンギャに知り合いがいるのですが、この「ロヒンギャ問題」になると、いつもその複雑な歴史論争にもなってしまいます。

ミャンマー人やラカイン人たちは、もともと「ロヒンギャ民族」なるものはミャンマー国内にはおらず、違法なベンガル人(バングラデシュ人)がミャンマー国内に居着いているのだ、と主張しています。

その一方、ロヒンギャたちの一部は、「歴史的にみるとラカイン(アラカンの王朝)はムスリムの王朝だ」とも主張しています。

Q. 歴史論争に決着はつかないのですか?
A. このラカイン地域での実証研究はあまり進んでおらず、今すぐに歴史問題としての決着をつけるのは難しいと思います。
 ラカイン州は、もともと上座仏教が優勢な地域だったのは間違いないようです。ただし、さまざまな資料からいえるのは、仏教を信仰していた当時のアラカン王朝は、イスラームの様式を取り入れて生活をしていたのも確認されています。仏教かイスラームかどちらかという単純に割りきれないのです。

私の出会ったラカイン人やミャンマー人たちの苛立ちの最大の要因は、ロヒンギャたちがアラカンの仏教王朝を否定するような発言をしていることです。それは上座仏教の保護者と自認するラカイン人の自尊心を傷つけることでもあるのです。(つづく)

宇田有三(うだ・ゆうぞう) フリーランス・フォトジャーナリスト
1963年神戸市生まれ。1992年中米の紛争地エルサルバドルの取材を皮切りに取材活動を開始。東南アジアや中米諸国を中心に、軍事政権下の人びとの暮らし・先住民族・ 世界の貧困などの取材を続ける。http://www.uzo.net
著書・写真集に 『観光コースでないミャンマー(ビルマ)』
『Peoples in the Winds of Change ビルマ 変化に生きる人びと』など。

最終更新:8月23日(火)11時1分

アジアプレス・ネットワーク

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。