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「プロフェッショナルな仕事」とは何か

ITmedia ビジネスオンライン 8月25日(木)18時20分配信

 ここまで述べた7つの要素からなる「ブランドビジョンの構造」を踏まえて、以前の記事でも紹介したセブン‐イレブンのブランディングをもう一度振り返ってみましょう。

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 セブン‐イレブンには、以前からプライベートブランドのセブンプレミアムで培ってきた、安全とお手ごろ価格の両立への取り組みがありました。それが、(1)の「潜在的能力」です。安い商品を作るために無名のメーカーにプライベートブランドを作らせてきた流通業界の常識を破って、セブン‐イレブンは一流メーカーと組んで独自の商品を開発するという経験を積み重ねていたのです。その積み重ねが、セブンゴールドのラインアップを可能にしたのです。

 セブンゴールドは、(2)のパーソナリティーも従来のようなコンビニのイメージから大きく脱却して、“専門店のような本格さ”を備えたものにならなければなりません。昨日と同じことはやらない。コンビニといえばこんなものだという固定化された発想を打ち破っていくことは、鈴木会長自らが随所で語られてきたことでした。

 さまざまな小売り業態がある中で、セブン‐イレブンというコンビニが“忙しいお母さん”たちに果たし得る(4)の「機能的価値」とは何でしょうか。それは、専門店よりも値ごろ感があり、専門店と同様の本格的な味を提供することになります。

●「誰に喜んでもらいたいのか」

 (5)の「誰に喜んでもらいたいのか」。日本社会にはさまざまな課題があり、その一つとしてセブン‐イレブンが着目していたのが“女性の働きにくさ”でした。仕事を持つ忙しい女性たちを支える基盤や環境が、日本ではまだまだ足りていません。

 セブンゴールドの場合は、例えば“忙しいお母さん”です。しかも、それは仕事を持っていて忙しいけれども、家族の食卓は少しでも豊かでありたいと考えている女性たちに、あえて焦点を置きました。

 では、その“忙しいお母さん”たちに、どのように喜んでもらいたいのか。それは家庭で楽しめるちょっとしたぜいたくです。外食に出かけたり、十分な時間をとって料理をしたりということが叶わない日でも、少しでもおいしいものを食卓に並べたいという気持ちに応えること。これが(6)の「情緒的価値」になります。

 そのためには、お客さまとセブン‐イレブンがどのような関係性になればいいのか。日本国内で1万8000を超す同社の店舗は、そうした“忙しいお母さん”たちにとって、なによりも物理的に近い距離にあります。彼女たちにとって“なじみのご近所”のような関係になることが、セブン‐イレブンの新しい存在価値になるわけです。

 コミュニケーション・メッセージとして掲げられた“日本のおいしい食卓へ。近くて便利、セブン‐イレブン”は、まさにセブン‐イレブンの考えるビジョンが、そのまま表現されています。

 そして(3)のシンボル。こうした他の追随を許さないセブン‐イレブンの哲学と理念を、佐藤可士和氏による素晴らしいパッケージデザインとロゴマークで統一感を持って送り出しました。セブンプレミアム、セブンゴールド、セブンライフスタイルの、それぞれの印象的なロゴマークは、「ブランドビジョン」をセブン‐イレブンとお客さまとが共有するシンボルになっているのです。

●「プロフェッショナルな仕事」とは何か

 情熱ということについて、私自身が「お金をいただいて仕事をする」上での原点になっている出来事をお話ししましょう。

 実は私は、高校3年生のころまでは建築デザイナーになりたいと思って、美大を目指してアトリエにも通っていました。ところが高3の5月に父親を亡くしたことで、お金のかかる美大をあきらめ、夜間の学部に進学し、学生時代からアパレル企業の営業の現場で働くようになりました。

 当初は、その会社が土日に開催していたファミリーセールを手伝うアルバイトをしていました。そのうち、「平日の昼間もうちで働かないか」と声をかけていただき、営業社員のサポートとして入ることになったのです。

 他の社員と全く同じように、スーツを着て名刺を持ち、朝の8時半から夕方の5時まで勤務しました。取り扱ったのは紳士のインナーです。ほどなく、週のうち2日か3日は私が取引先に出向くようになりました。

 その中の一軒に、東急ストアの高井戸店がありました。あれは大学2年の頃だったので、私がまだ20歳くらいだったと思います。恐らくワゴンセールのお手伝いか何かで出向いた際、当時の高井戸店の店長だったかマネジャーだったか、そういう立場の方とお昼をご一緒していたときのことです。私が学生のアルバイトだということも知ってくださっていて、社会人の先輩としてさまざまなアドバイスをしてくださいました。

 その方の話で私の胸に響いたのは、「たとえアルバイトであろうと社員であろうと関係なく、時給が1000円だろうと500円だろうと仮に1円であろうとも、“お金をいただいて”仕事をする以上、それは“プロフェッショナルの仕事”でなければいけない」ということでした。

 以来、このことは今に至るまで、トータルにすれば四半世紀以上私がお金をいただいて仕事をしてきた中で、片時も離れず心の中にあります。

 プロフェッショナルの仕事――これは、どんな立場であり、どんな仕事であっても絶対に必要なことだと思います。

 例えば新入社員になって、お茶を出すということを頼まれるかもしれない。あるいはゴミ箱を片付けるとか、コピーをとるとか、封筒に切手を貼るというようなさまつに見えることであったとしても、金額がどうであれお金をもらって仕事をする以上は、それはプロの仕事でなければならないのです。

 “プロフェッショナルの仕事”であるとは、まずミスをしないということ。考えられる最善を尽くすということ。そして、先述したように自分に仕事を頼んだ相手が喜びを覚えるものであるということです。

 自分は社員ではなくアルバイトだから手を抜いてもいいとか、新人だからうまくできなくても仕方がないとか、安い給料しかもらっていないのだからそれ相応でいいと考えてしまえば、自分で自分をおとしめてしまうだけだし、自分で自分の人生から情熱を奪っているも同然です。

 もちろん、ミスをしないように心掛けていても、人ですからミスをする場合はあります。それで上司に迷惑を掛けたり、もしかしたらお得意先を怒らせてしまうこともあるかもしれません。自分の失敗ではなく、同僚や部下のミスで自分が責めを負う場面もあるでしょう。

 しかし、それすらもチャンスにできることがあるし、チャンスにしていくべきなのです。誠心誠意おわびをすることは当然として、少なくとも与えてしまった損害の倍くらいは返すという姿勢が必要だと思うのです。

 起きてしまったミスは不幸なことですし、当初は相手も立腹するでしょう。けれども、それを挽回しようとして懸命に努力をすれば、相手も「こういう人に、こういう会社に、仕事を頼んでよかった」と思うかもしれません。もしそれが叶わずとも、こちらには頑張った分だけ新しい力が身につきます。

 立場がどうであろうと、大きな案件でも小さな雑用でも、同じように“情熱”を注いで“プロフェッショナルの仕事”をしてみせる。たとえ失敗したとしても不運にさらされたとしても、より一層の“情熱”を注ぐ。こういう姿勢が大切だと思うのです。

●期待以上のサプライズを

 “プロフェッショナルの仕事”ということで、もう一つ強調しておきたいのは、プロの仕事とは“期待以上のサプライズ”でなければならないということです。人がなにがしかの仕事に対して満足するには、そこで支払われた対価以上の“喜び”を受け取って初めて満足するのだと思います。

 会社には3つの種類の人がいるとよく言われます。「いてもらいたい人」「いてもいなくてもいい人」「いないほうがいい人」です。1万円の報酬に対して見合うだけの仕事ができなければ、その人は会社に損害をもたらしているわけですから「いないほうがいい人」になります。しかし、1万円分の仕事をしたとしても、それは同じようにできるほかの誰かでもいいわけで「いてもいなくてもいい人」の域を出ません。その会社にとって「いてもらいたい人」とは、支払った報酬以上の満足をもたらしてくれる人ということになります。

 これは、会社と会社の取引きでも同じでしょうし、会社が消費者にモノやサービスを提供することについても同じはずです。やはり「お客さまが100円を払ってくれるのであれば、200円の価値を提供していこう」という思いは必要だろうと思うのです。

 不思議なことに、会社によっては“身の丈でいい”という発想のところがあります。100円の商品は100円に見えないといけないとか、300円の商品は300円程度の機能でなければならないと考えているのです。あるいは、300円のモノが300円以上に見えてしまったら、消費者を欺いてしまうとマジメに考えているのかもしれません。

 例えて言うと、300円の商品だとしたら、見た目は400円くらいで、食べてみたら500円の価値があったというのが一番いいのではないでしょうか。それは何も“高く見せる”ことが目的ではありません。世の中を見渡していると、なぜこんなに“安っぽい”モノがこんなに高い値段なんだろうとガッカリすることが多々あります。だからこそ、お客さまが払った金額以上の喜びを得られるバリューを作り出していこうという発想が必要だと思うのです。

 相手に期待以上のサプライズを与えるというのは、結局は“小さなこと”に手を抜かないことから生まれるものだと思います。「神は細部に宿る」です。一流のホテルや飲食店で、私たちが思わずうなるのは、立派な建物や高価な調度品ではなく、見落としてもおかしくないほど細部にまで込められた丁寧な仕事や、どこまでも客の目線に立った心の配り方だったりするわけです。

 「ブランディング」とは、売れるために付加価値をつけるとか、実態以上によいイメージをつけるというようなことではありません。提供する側がお客さまにどんな喜びを届けたいのかという“情熱”であり“意志”そのものなのです。

●ブランドは「心」で作るもの

 私の友人で、勤めていた大手企業を辞め、世界中をバックパッカーで旅してきた男がいます。帰国した彼と話をしていて、どんな土地が良い思い出として残ったかと聞くと、仮に言葉が通じなくても一生懸命にコミュニケーションを図ろうとする人たちと出会えた場所だったというのです。逆に、良い印象を持てなかった土地というのは、日本人だと思って「シャチョウ」「シャチョウ」というような怪しげな日本語で、巧みに取り入って財布を開けさせようとするような人々がいたところ。

 2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、東京の街も日本という国全体も、どのように世界の人たちを迎えるのかという議論が盛んです。公共交通機関に外国語のアナウンスを入れるとか、英語の看板をつけるとかいったハード面の整備も確かに必要でしょう。しかし、なによりも求められているのは、受け入れる日本の人々の“心”の問題だろうと私は思います。

 例えば都会の大きなホテルやデパートは外国人を歓迎しながら、同じ東京であってもローカルの飲食店や旅館になると「外国人お断り」みたいな対応をするところが珍しくありません。言葉が通じないから、互いにトラブルになることは避けたいというのが大抵の理由です。

 けれども、相手も旅をするという目的をもって異国である日本に来ているのです。言葉がうまく通じなくても、それでも意思の疎通を図ろうとし、相手を受け容れてもてなそうとする心があれば、結果的には旅の良い思い出になり、日本という国を愛するきっかけになるでしょう。こちらも、新しい発見や出会いを経験できます。

 「言葉が通じないからお断り」というのは、実は言葉うんぬんは口実であって、効率の悪い面倒なことは避けたい、異質な人々は受け容れたくない、という硬直した“心”の表出にほかならないのではないでしょうか。日本あるいは東京というブランド作りで「おもてなし」というのなら、何をするかという形の問題以前に、私たち自身の“心”の転換を図っていかなければなりません。

 ブランドというものは、しょせんは“心”で作っていくものなのです。

最終更新:8月25日(木)18時20分

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