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池袋駅北側の東西地下通路、その歴史は鉄道よりも古かった

乗りものニュース 8月24日(水)6時0分配信

明治期は駅付近を南北に

 池袋駅(東京都豊島区)の北側に「ウイ・ロード(WE ROAD)」という愛称の地下通路があります。線路の東側と西側を結んでおり、昼夜を問わず多くの人が利用しているこの通路ですが、その歴史は池袋駅の開設や線路敷設よりも古いようです。

 明治初期から中期にかけて当時の日本陸軍が作成した「迅速測図」を見ると、現在の池袋駅付近を1本の道が南北に走っています。「雑司ヶ谷道」と呼ばれるこの道は、北は中山道の板橋宿(現在の板橋区板橋)へ、南は雑司が谷の鬼子母神を経て高田村(豊島区高田)や戸塚村(新宿区西早稲田)付近へと通じていました。

 1885(明治18)年にJR山手線の原形となる日本鉄道品川線が開業し、1903(明治36)年には池袋駅が開業します。大正期の地図において雑司ヶ谷道は跨線橋で線路を渡るように描かれており、その後、ガードで線路をくぐる現在の形になったようです。

 雑司ヶ谷道と呼ばれていたことの名残なのか、「ウイ・ロード」の正式名称は「雑司が谷隧道」とされています。

 そして、池袋駅同様の古い通路が新宿駅にも。駅北側の「角筈ガード」です。新宿追分(現在の新宿三丁目交差点)で甲州街道と分岐した青梅街道のかつての道筋であり、2009(平成21)年のガード改修時に「旧青梅街道」のサインなどが設けられたため、ご存じの方も多いと思います。

 青梅街道のこの場所は踏切、跨線橋、ガードの順に変化し、わずかにずれますが地下には東京メトロ丸ノ内線も開業。すぐ北側には、クルマが(かつては路面電車も)通れる大ガードが造られて、現在に至っています。

太田幸宏(乗りものニュース編集部)

最終更新:8月24日(水)6時0分

乗りものニュース