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消えた「大将軍駅」最後の姿に見る“昭和の夢、昔の未来”

ITmedia PC USER 8月25日(木)6時10分配信

 昭和のわずかな期間、姫路にモノレールが走っていた。

 姫路モノレールは1966(昭和41)年5月に開業。JR(当時は国鉄)姫路駅付近から、姫路大博覧会の会場であった手柄山までの約1.8kmを結ぶものだった。当時の急激な自家用車の普及による渋滞問題を解決するための市街地と郊外を結ぶ足として発展させる計画もあったようだが、結局1974(昭和49)年に休止、1979(昭和54)年に廃止となった。

【画像】一般公開された「大将軍駅」

 運行当時の様子がうかがえるパネルのうち、左上の写真に写っているのは「大将軍駅」という駅である。アパートのビル直結という大胆な発想とデザインだ。たったの8年間しか運行しなかった姫路モノレールだが、この大将軍駅は更にそのうちのたった2年間しか営業せず、あとは通過駅扱いとなってしまったという。

 その「大将軍駅」の跡であり、かつ現役で住人がいた高尾ビルも、老朽化と耐震性を理由に取り壊しが決定したという。そのような中で、関係者の尽力もあってこの大将軍駅跡が特別に一般公開されることになった。今回は大将軍駅の最後の一般公開を取材できたのでレポートしたい。

●姫路モノレールは構想からその成り立ちまで、まさに昭和の夢

 大将軍駅内部の前に、まずモノレール廃線跡をたどりたい。

 JR姫路駅周辺と、姫路モノレールの位置関係はこうだ。大将軍駅につづく廃線跡もくっきりと地図に残っている。

 JR姫路駅の西側から手柄山に至る姫路モノレール廃線跡には、今もその遺構が多く残されている。まさに昭和遺産とでもいうべき光景だ。

 架線や支柱は老朽化で危険なこともあり、撤去が進んでいるようだ。「高架下」の店舗群もほとんどは閉店していた。

 更に終点の手柄山駅と姫路城の位置関係を含めるとこのような位置関係になる。「どうせなら手柄山まででなく姫路城まで伸びていれば……」との意見をよく耳にする。確かに国内のみならず世界からも観光客が訪れる「姫路城行き」だとしたら、姫路モノレールはまったく違った姿で活躍していたのかもしれない。

 新幹線の高架下をギリギリで通過していたようだ。(2013年撮影)

 モノレールの路線は街を縫うように曲線を描きながら、手柄山方面に向かっていた。(2013年撮影)

 旧・手柄山駅は現在「手柄山交流ステーション」の中にあるモノレール展示室として見学できるようになっている。

 今はふさがれたトンネルの向こうに、旧・手柄山駅が存在した。(2013年撮影)

 車両はこのように展示されている。航空機で知られるロッキード社製で、流線型の丸みを帯びたデザインは非常に味がある。(2013年撮影)

 車内も見学可能だ。思ったよりはゆとりがあるが、運賃が当時同区間のタクシーよりも高いということも廃止の一因であったという。一度動いているところを乗ってみたかったものだ。(2013年撮影)

 手柄山には回転展望台のある喫茶店「手柄ポート」などもある。デザインや回転する座席などもまたレトロフューチャー感たっぷりだが、閉店もうわさされている。(2013年撮影)

 手柄山交流ステーションから手柄ポートを望む夕景。手柄ポートの斬新さが際立っており、ここに立っていると「昭和の夢の続き」が少しだけ見られたような気がした。(2013年撮影)

●大将軍駅跡レポート

 手柄山交流ステーションのモノレール車両などは現在誰でも見学できるよう整備されているが、大将軍駅は今回の見学会が最初で最後の公開となる。

 一般公開は2016年8月13、14日の2日間のみ、抽選で選ばれた人のみ入ることが許された。日程的にはすぐ後にでも取り壊しが進むということで、最初で最後の見学会になる。

 今回は、普段閉鎖されていた高尾ビルのビジネスホテル入り口から見学者が誘導された。

 ビジネスホテルのフロントを横目に階段を登る。このビルの上層階はアパートだったが、大将軍駅の下にはビジネスホテルや銭湯などの商業施設も入居していたようだ。

 大将軍駅に続く階段の脇にはエスカレーターがあった。

 停止して久しいエスカレーターも、ホーム階までは届いていない。こういう中途半端な設計もまた「昭和らしさ」なのかもしれない、といったら失礼だろうか。

 ホームに入る前には改札があった。駅員さんが入って手できっぷを切るブースであり、自動改札機などは存在しない。

 きっぷ売り場であっただろう窓口もあった。もちろん自動券売機などはなく手売りのブースだ。時刻表はかすれて読めず、改札の向こうは鳩の卵や糞などが散乱していた。

 改札の隣には駅長室の入り口と精算口が存在していた。姫路-大将軍-手柄山、と3駅しか存在しないうちの中間駅では、通常は精算口が存在すること自体ほぼ意味がないとよくよく考えれば分かるのだが、これは将来の路線延長などを見越して作られた……のかもしれない。

 そしてこれがホーム全景。ところどころに建物の傷みは見えるものの、今すぐモノレールが入ってきてもおかしくはない雰囲気である。おそらくはホームも駅長室などと同様「鳩の楽園」として汚れきっていたのだろうが、見学会開催に際してここまできれいにしていただいたであろう関係者の方には本当に頭が下がる思いだ。

 大将軍駅の駅名標。字体に時代を感じる。

 駅名標が付けられた柱はコンクリート製だが木目が付いていた。コンクリートの型枠に、現代よく使われるようなコンパネではなく杉板を組み込んだもので作られたから、とのことだ。

 姫路駅方面のレール。少しカーブしていることが分かる。姫路モノレールは全体的に経路が直線的でなく、街の合間を縫ったような線形をしていたが、そうした都市の隙間に建設しやすいというのもモノレールが選定された理由のひとつなのだろう。

 手柄山方面のレールも県道62号に至る前の部分でなくなっている。向かい側の真新しい高層マンションが建つ場所にも数年前まではレールの跡が残されていた。

 同じ位置を下から見るとこのような構造だ。駅の空間に居住スペースが乗っているような斬新な構造だが、やはりその駅部分にあたる箇所は壁がないこともあって耐震性に問題があると判断されたようだ。

 大将軍駅のホームからは「現代に続く未来」として昭和の時代から着実な進化と発展を続ける新幹線の高架が見えた。その下に「昔の未来」であるモノレールの廃線跡がギリギリの高さで交差していた。そもそもの規模や目的が違うとはいえ、このギャップには頭がくらくらする感覚におそわれた。

 わずかに許された見学時間はあっという間に終わりを迎えた。時間の止まっていた大将軍駅は、いよいよ、消える。

 モノレールを建造した当時の市長は、市街地や鳥取までの延伸の構想なども語っていたという。今となっては「バカな計画だ」と誰しもが思うかもしれないが、もしかしたら当時のイケイケな空気感では「イケる」と本気で思えたのかもしれない。それは現代しか知らない者にはなかなか想像しにくいことだ。

 今冷静に評価すれば、確かに姫路モノレールの発展構想などはバカげていると断ずることもできる。行政や国が何かをしようとするたびに「コストが……」とか「ムダだ……」とかいった声が必ず上がる現代では、どうしても大風呂敷を広げた話がしにくい。しかしそういった現代の空気感もまた少し寂しいものがあると感じてしまうのは筆者だけだろうか。怒られる覚悟で言うならば、現代に生きていても、たまには大きな夢を見てみたいと思うこともあるのだ。

 この「昔の未来」が詰まった建物も間もなく跡形もなくなる。こうして、昔の人が見た未来と実際の未来とのギャップがまたひとつ埋まっていく。

●連載「街中ロストガジェット」とは
街を歩いていると、時代に取り残されたような、人々から忘れ去られたようなガジェットを見かけることがある。そんな「街中ロストガジェット」のある風景を訪ねていく。

●ライター:赤祖父
1980年生まれ。情報サイト「ハイエナズクラブ」編集等をはじめ趣味でネットにいろいろ書いている。本職はシステムエンジニア。「迷ったら買ってみる」が信条の新しもの好きだが、街歩きやレトロなものも好きで、その集大成が本連載のテーマとなっている。

最終更新:8月25日(木)16時28分

ITmedia PC USER

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