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なぜ日本人は“世代論”が大好きなのか

ITmedia ビジネスオンライン 8月25日(木)6時25分配信

 「団塊の世代」「バブル世代」「ロスジェネ世代」「ゆとり教育世代」「さとり世代」さらには、「清原・桑田世代」「松坂世代」「ガンダム世代」「エヴァ世代」「ポケモン世代」――。

 私たちはいつまで世代語りをするのだろう? ◯◯世代と呼びたがるのだろう? 日本人は相当、世代論が好きだ。先日も『日経ビジネス』が50代を「ゆでがえる世代」と評した特集が話題になった。

 前回は「若き老害」という現象について説明した。一般的には、高齢の人に対して使う言葉だが、近年は経営陣や管理職の若返り、若手の抜てきなどにより、裁量権をある程度持った若手社員も老害化しているという話である。実は、職場の中の人を世代でくくって語り、ときに対立姿勢を見せたりするこの世代論(世代闘争)こそ、「若き老害」がはびこる原因の一つなのだ。

 最初に、世代論に関する私の考えを述べよう。この連載自体、世代論っぽいと感じるだろうが、実は私は世代論が苦手なのだ。いや、好き嫌いはいいとする。この手のものは科学的なものにはなりにくい。茶飲み話、酒の肴(さかな)には悪くないが、大抵は不毛である。

 小生、42歳大学教員。1974年生まれだ。「ロスジェネ」「就職氷河期世代」「団塊ジュニア世代」とくくられ、「かわいそうな世代」だとレッテル貼りをされる。確かに、その時代の出来事、経済環境、大流行したものなどの共通点もあり、世代の特徴のようなものはなくはない。共通体験だって、ある。同世代と会うと、『機動戦士ガンダム』や、バンドブーム、ファミコンやラジコンなどの話で盛り上がったりもする。ただ、18歳人口ベースで同級生は約205万人いたわけで、それを一色単に論じること自体が無理筋である。

 私は、毎年、日本生産性本部が発表する「今年の新入社員は○○型」というレポートが苦手だ。拙著『普通に働け』(イースト・プレス)と『「できる人」という幻想』(NHK出版)でかなりのページ数を割いて批判したこともある。

 大卒者だけでも毎年約40万人が社会人になる。ひとくくりに評価するのはいかがなものか。2016年は「ドローン型」(強い風にあおられても、自律飛行を保ち、目標地点に着地できると言う意味で)だったが、私に言わせると毎年「新人型」だ。「意外に優秀」「でも弱い部分もある」「取扱注意」という話が、その頃流行ったモノに例えられているだけだ。その年の就活環境や、日本経済の状況などを盛り込んでいるので説得力があるかのように見えてしまうのだ。

●一人歩きしてしまう「世代論」「若者論」

 「若者論」というのも「世代論」の一つのジャンルであり、メディアをにぎわせている。古くは「団塊の世代」「太陽族」「新人類」「就職氷河期世代」に始まり、「ゆとり世代」「さとり世代」など、世代に関する言葉はそれなりに流行語になっている。「○○世代」という表現ではなくても、主に若者に関連した、その世代を象徴する言葉も流行する。「草食系男子・肉食系女子」「マイルドヤンキー」「パリピ」などである。

 「世代論」や「若者論」に関する言葉は一人歩きする。私が広めた「意識高い系」についても、「意識だけ高く自己啓発や人脈構築に力を入れているが、どこか能力も意欲も足りなくて、空回りしている残念な人」を指す言葉だったはずなのだが、いつの間にか「若者を萎縮させた張本人」ということで戦犯扱いされてしまった。極めて遺憾である。

 感情を手放して言うならば、この「世代論」はメディアにおいて、あるいは酒の肴(さかな)においても、なかなか優秀なコンテンツだともいえる。前出の「今年の新入社員は○○型」も毎年、テレビや新聞に掲載される。若者の特徴を捉えた言葉はネット上でもバズる。これだけ世代論、若者論を批判的に論じていて何だが、そういう私も「意識高い系」という言葉の仕掛け人ということになっている。

 このように、世代論は不毛だが、それなりに注目を集めてしまうということをまず意識したい。

●厄介な職場の「世代論」「世代闘争」

 メディアにおける「世代論」はまだ、いい。やや性善説的な考えではあるが、その「世代論」がいかに間違っているかについて、評論家や論者が訂正をしてくれるからだ。

 しかし、だ。「世代論」または「世代闘争」が厄介なのは、むしろ「職場」においてではないだろうか。職場は論壇ではないし、ましてや社会学を学ぶ場ではない(教育・研究機関など、ごく一部の職場を除く)。およそ科学的ではない言葉が飛び交う。ビジネスパーソンが、この「世代」について感じるのは、メディアで「世代」に関する読み物に接しているときではなく、むしろ、普段の職場においてある。

 私も会社員を15年間経験したし、2015年から大学の専任教員として就職したので、職場の論理はよく分かる。それは「何」を言うかよりも「誰」が言うかが大事だという法則である。世代論にはもっともらしい根拠もあり、それが言う人の立場も伴い、妙な説得力を持ってしまう。しかも、ガス抜きとしても酒の肴(さかな)としても十分に機能してしまうのである。問題なのは、職場においては、そこにはリアルに従業員にとっての仕事と生活があることである。利害関係があるということだ。日々、世代間のギャップを感じつつも、働かなくてはならない。生きるためだ。

 経営陣や管理職の若返り、若手の抜てきなどは、自分の会社員人生にも関係しており、社内の椅子取りゲームなどを意識してしまう。最近では若手を抜てきする一方で、細く長く働くキャリアも用意されつつはあるが、心理的なプレッシャーにもなる。このように「世代」というのは組織において、気になる論点なのだ。だから「世代闘争」が巻き起こる。

 そして「若き老害たち」は、「ウチの◯◯部長は全然仕事をしない。バブル世代だし、しょうがないよな」「若手社員は元気がない。何でもネットで調べて仕事をした気になる。しょうがないな、ゆとり世代だしな」「営業部の田中はいつもFacebookに異業種交流会の様子をアップしている。意識高い系だな、奴は」――と、単なる印象でモノを言い、他の世代を攻撃していく。

 「若き老害」は日本人が大好きな「世代語り」「世代闘争」の産物だともいえる。若手の抜てきや、世代が細分化されてきたこと、そして、もともとの日本人の世代論好きの掛け算が、「若き老害」を生み出しているのだ。


(常見陽平)

最終更新:8月25日(木)6時25分

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