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真島昌利「アナログ盤ありきで作ってる」、ましまろサウンドのこだわり/インタビュー

MusicVoice 8/25(木) 15:00配信

 昨年5月にデビューした、ましまろが31日に、通算2枚目となるフルアルバム『ましまろに』をリリースする。メンバーは、ザ・クロマニヨンズの真島昌利(Gt.Vo)、ヒックスヴィルの真城めぐみ(Vo)と中森泰弘(Gt.Vo)の3人。ポスト・パンクから派生したスタイルのネオアコ(ネオ・アコースティック)を基盤としたノスタルジックさを感じさせる音楽性、そして、アナログLPにこだわりを持ち、常にアナログ盤に収録することを念頭に置きながら制作するスタイルはどこか人のぬくもりを感じる。それぞれのグループでも活躍する彼らがなぜ、このバンドを結成したのか、そして、このバンドで表現する音楽とは…。最近のフェイバリットミュージックから、本作に込めたサウンドへのこだわりまで、幅広く話を聞いた。

なぜかバンド名だけは既に決まっていた

――ましまろはどのような経緯でスタートされたのでしょうか。

真城めぐみ 遡ることもう数十年の話ですが、80年代に、新宿にあるJAM STUDIOというライブハウスで出会いました。私はお客という立場で、マーシーが当時やっていたバンドを観に行っていたんです。

中森泰弘 僕の出会いはマーシーと共通の友人がいたんです。その流れで知り合ったんです。マーシーの幼なじみとはほとんどが友達になっているんですけどね。

――真城さんは真島さんと出会った当時、既に音楽はやられていたのでしょうか。

真城めぐみ 当時はまだ高校生だったのでやっていなかったですね。マーシーはその時20歳ぐらいで。バンドのファンだったので、ライブに観に行ける時は足を運んでいたんです。

――真島さんは当時、お客さんとして来ていた真城さんのことは覚えていましたか。

真島昌利 もちろん覚えていますよ。当時、新宿のJAM STUDIOで東京モッズというすごく小さなサークルなんだけど、三つボタンのスーツを着て、60年代70年代のビートで踊っているシーンがあったんです。なので、当時のバンドもお客さんもお互いが顔見知りだったんです。

――現在も新宿JAM STUDIOはありますが最近は行かれていませんか?

真城めぐみ 最後に行ったのは15年ぐらい前かな。でも、店の感じは変わっていないから、たまに車でライブハウスの前を通る時はゆっくり走ったりしますよ(笑)。本当に当時はそこに行くのが楽しみだったんですよ。月日は流れて、マーシーはそうこうしているうちにTHE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)で活動するようになって、どんどん会う機会が減ってしまったんですよね。

――真城さんが歌うようになられたのはいつ頃からですか。

真城めぐみ 19歳の頃からですね。本格的にバンドを始めたのは24歳ぐらいです。それがロッテンハッツなんですけど。

――真島さんと再び出会うのは更に先ですよね。ましまろの結成はいつ頃ですか?

真城めぐみ バックステージとかでたまに会うことはありましたけどね。私たちの共通の知り合いがいるんですけど、その方が「真島と真城で“ましまろ”という名前でバンドやれよ」と言っていたんですよ。なぜかバンド名だけは既に決まっていて(笑)。でも、そんなことを言われてもマーシーも忙しいので急には出来ないじゃないですか。結局、そこから4年か5年ぐらい経っちゃいましたね。たまたまゆっくり話す機会があって、それで結成に至ったんです。

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最終更新:8/25(木) 15:00

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