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往時のカープ4番・興津が語った「赤」へのこだわり

東スポWeb 8月26日(金)10時1分配信

【越智正典「ネット裏」】今度の土曜日、8月27日に千葉のQVCマリンフィールドで挙行されるU―18侍ジャパンの、アジア選手権大会(8月30日~9月4日、台湾台中)への壮行試合、対大学日本代表の入場券はとうに売り切れている。高校野球の第98回大会の熱闘と、リオ五輪で、広島カープの報道が少なくなっている。

 で、東京、杉並区高円寺に、往時のカープの4番・興津達雄に会いに行った。会うのはいつも窓が大きな店。会うなり興津は「カープよ。甘い球を逃すな! 打て!」。叫ぶように言っていた。

 静岡商―専修大。卒業が近づいた1958年秋、国鉄、南海のスカウトらが続々、この大型三塁手の実家を訪ねた。まだスカウト自由競争時代である。私は彼の家に阪急の天保義夫が行ったのに注目した。天保が往時の巨人キラー、気迫の投手だったからである。

 興津は結局は父親にやさしい言葉をかけてくれたカープのオーナー、松田恒次の情にホロリ。広島に入団。59年、呉市の二河球場でのキャンプで、熱血の指導者、藤村弟の猛ノックを受け、打ち上げると、あの“神主一刀流”の岩本義行の故郷、広島県三次での対近鉄オープン戦で、3打席3本塁打でデビューした…。

 いい男だ。決して威張らないから街の人々に尊敬され、慕われている。

 実は昨年の12月27日、興津は彼のマンションの店子さんに、カープの歴史を学ぶ会の講師を頼まれた。興津にOKをもらうと、店子さんは近くのコンビニ限定で入場券を2000円で売り出し、即日完売。仕事があって広島へカープを見に行けない関東広島女子を中心に40人が集まった。

 街には小劇場があるが“貧乏”カープの“伝統”を守って、すぐそばのマンションの空き部屋を借りて開会。「暮も押しつまった27日に集まってくれたのですから、ありがたいですよ」。興津はよろこんでいたが、実は会の様子を詳しく聞いていないのに気がついた。もちろん、彼のギャラはないハズだ。スミマセン…と3回お辞儀をしてもらったのが、彼のうれしい報酬だった。

「赤ヘルの話をしたんですよ。いまの松田元オーナーのおとうさん、松田耕平オーナー(70年12月~02年7月)は、昔、東洋工業が進出した、州花が赤いカーネーションの、オハイオ州シンシナティの自動車会社の社長を務めていたときに、夜はレッズの試合を見に行って野球の勉強をしていたんです」

「レッズのヘルメットは赤、イニシャルは白く、カープと同じC。広島のお客さんにきっと喜んでもらえると、帰国後、東洋工業がいまの赤を出す研究をしたんです…こんな話をしたんですよ」

 そこへ「お客さん、ご注文は?」。店の女子。彼はいつもコーヒーなのに、この日は、かき氷の写真メニューを見て「これ、お願いします」と、氷いちごを頼んだ。色は赤。頬がゆるんだ。=敬称略=(スポーツジャーナリスト)

最終更新:8月26日(金)10時10分

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