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原発事故を観光するのは罪ですか? 好奇心でもいい、まずは現地へ チェルノブイリと福島を歩いてみた

withnews 8月27日(土)7時0分配信

 「新シェルターに覆われる前に、チェルノブイリ原発の4号機が見てみたい」。そんな思いで、夏休みの旅の行き先をウクライナに決めた。教科書は「チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド」(ゲンロン出版)。悲劇の地を巡る旅のことを「ダークツーリズム」と呼ぶという。けれど、ただ「観光する」ことには、なんとなく後ろめたさを感じてしまう。楽しんではいけないのだろうか?(朝日新聞大阪編集センター記者・水野梓)

【画像】原発事故を観光してみた 突然上がる線量、森のようになった街

興味のあった原発問題 自分の目で見てみたい

 そもそも私が、原発問題に興味を持つようになったのは、中学2年生の時にさかのぼる。茨城の実家は、核燃料加工会社JCO(東海村)のすぐそば。

 死者を出した臨界事故があった日、私たちは学校を途中で帰された。原子力が何かもよく分かっていなかった私だったけれど、家でテレビのニュースをつけたら、事故のことばかりやっていてとても怖かったのを覚えている。

 加えて、東日本大震災と福島の原発事故。父の実家は福島の中通りにある郡山市だ。事故発生の翌日から1週間、取材で福島に入ったこともあって、ひとごとではないと感じていた。

 チェルノブイリは、1986年4月26日、大きな原発事故が起きてしまった場所だ。当時、私はまだ1歳にもなっていない。
 30年経って、現地はどんな風になっているのか、自分の目で見てみたい、と考えていた。

 首都キエフでは、数社がチェルノブイリへのツアーを提供している。ネットで検索して一番始めに出てきた「チェルノブイリツアー」を選んだ。名前やパスポート番号などを入力し、前金をペイパルで送金して、手続きは終了。簡単なのに拍子抜けした。ただ、「長袖・長ズボンで参加を」という注意書きもあり、やっぱり気は引き締まる。

意外とゆるい雰囲気 でも急に線量が…

 実際に4号機を間近で見られるんだ、と思うと、「不謹慎」と言われそうだが、わくわくする気持ちがあった。

 当日は、絶対に遅刻したくない、と、7時半集合なのに目覚ましをかけて5時50分に起床。カメラやガイド、メモ帳も準備しながらも、期待と後ろめたさが胸のなかで交差する。

 ただ、実際に参加してみると、雰囲気はとってもゆるい。ポーランド出身のガイド・ジョニー(25)も陽気。電子タバコを手に、私たちに「Comrade!(同志)」と呼びかけてくる。

 参加者は私を含め13人で、ドイツ・スペイン・スイス・オーストリア・ウクライナ人が数人ずつ。アジアからは私だけだった。

 参加の動機はさまざまで、「ゴーストタウンに興味があって」「私はちょっと放射能が怖いって言ったんだけど、彼が興味があるって言うから」。

 アーティストのドイツ人は、次の作品のモチーフにしたいそうだ。スイス人の若者2人は、白い防護服を持参して、シャツにスウェットパンツ姿のガイドに「僕なんて何度もこの服を着てガイドしてるよ」と笑われていた。

 30キロのチェックポイントを通過すると、バスに乗って、廃虚やソ連のレーダー、チェルノブイリ市の看板など、スポットを巡っていく。
スポットごとに、時たま冗談をまじえ、ガイドが説明をしてくれた。参加者も、思い思いに写真を撮ったり談笑したりしている。

 それでも、ツアーがピリッとした空気に包まれることが何度もあった。

 廃虚となった幼稚園のそばの木の根もとに、ジョニーが「ガイガーカウンターを当ててみて」と言う。

 すると、さっきまで通常の線量だったはずが、警告音が鳴るまでに急上昇する。「この根もとにまだ放射性物質が残っているようだ」

 4号機のそばまで行くと、事故炉を覆う「石棺」がさびているのが分かった。30年で、それをさらに覆うシェルターが必要になった。事故は現在進行形なのだ。

 かつて大きな街だったプリピャチは、まるで深い森のよう。人がいないと、こんなに街はさびれて、自然にのまれていってしまうのだと感じた。

 ツアー中、参加者のひとりから何げなく、「福島って人が住めるの?」と聞かれ、言葉に詰まった。

 「難しい所もあるけれど、県は広いから」と説明しても、伝わっているのかもどかしかった。福島にも来て、現状を知ってもらえたらいいのに。

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最終更新:8月27日(土)7時0分

withnews