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<特別連載>ミャンマーのロヒンギャ問題とは何か? (25) ロヒンギャへの無関心と誤解~ 少数民族間でも 宇田有三

アジアプレス・ネットワーク 8月26日(金)6時0分配信

Q. そういえば、ミャンマー族、ラカイン族に関しては説明があったのですが、カレン族、カチン族、モン族、シャン族など他の少数民族の「ロヒンギャ問題」に対する態度はどのようなものなのですか?
A. 基本的に、軍事政権と少数派民族は長らく銃火を交えてきました、つまり<軍政ビルマ族>対<少数派民族(カチン、カレン、ラカイン、モン…)>という構図でした。そのため、ラカイン人以外の少数派民族は、ロヒンギャ問題に触れることで少数派民族の結束を弱め恐れがあるため、ラカイン人の立場を尊重してこの問題には深く関わろうとはしませんでした。

関連写真を見る: 選挙権剥奪されたロヒンギャの人々(写真9枚)

Q. それでは、他のムスリム集団(バマー・ムスリム、パンディー・ムスリム、インド・ムスリム・・・など)のロヒンギャに対する姿勢はどうですか?
A. マンダレーでパンディー・ムスリム、ヤンゴンでカマン・ムスリム、バマー・ムスリム、インディアン・ムスリムたちに話を聞く機会がありました。その回答はほぼ全て同じでした。

「ロヒンギャたちはミャンマー国民ではないから、ミャンマーにいるのは適当ではない」
他のムスリムは、ロヒンギャ・ムスリムがあくまでも「国籍を持っているか」どうかで判断していました。

また、これは個人的な印象ですが、他のムスリムたちはロヒンギャ・ムスリムと自分たちを同じムスリムとして一緒に欲しくないという印象を受けました。彼らはバングラデシュのムスリムなのだから、と。

Q.それはなぜですか?
A.やはり、ミャンマー国内ではロヒンギャはトラブルメーカーだという誤った認識でしょう。

我々ムスリムは、上座仏教徒の多数派が暮らす社会で、問題を起こすことなく暮らしているのに、厄介事を持ち込むな、ということです。ロヒンギャがトラブルを起こしている訳ではなく、実はトラブルに巻き込まれているのですが。

またシーア派のムスリムに話を聞くと、「その質問は敏感なことだから答えにくい」と返事をしてくれました。私が答えを促すように私が黙っていると、「やはりミャンマー国民じゃないから」と、まるで独り言のように返してくれました(ロヒンギャ・ムスリムはスンニ派)

Q. それでは、ロヒンギャたちの手助けは唯一、外国からの応援なのでしょうか?
A. ロヒンギャという名前が公の文書に表れたのは1950年代くらいからです。その頃、国際社会は、いわゆる「民族自決」という風潮が盛り上がっていました。その流れを汲んで、強硬な軍部が支配するミャンマー国内で、弾圧されている少数派の人権を守るために、国連や国際的な支援機関がロヒンギャの「民族」という面を強調して活動していくという、ボタンの掛け違いのような方法を推し進めたことが<「ロヒンギャ問題」の問題>が生まれた要因の一つです(この辺りも、専門家の検証が必要だと思われます)

国際社会は当時、第一に軍事政権に抑圧されてきた民主化勢力、次に実際に戦闘が続いていた少数民族問題に取り組んでいました。「ロヒンギャ問題」は優先順位が低かったのです。当時は軍事政権で国内の状況はよく分からなかったのです。

その国際社会の流れに乗ったロヒンギャの一部が民族性を主張するようになり、仏教徒ラカインと対立が生まれたのです。国際社会は、〈ロヒンギャ・ムスリム〉を〈ロヒンギャ〉とし、「民族としてのロヒンギャ」を作り出すことで軍政に人権保障の圧力をかけようとしたのです。(つづく)

◆宇田有三(うだ・ゆうぞう) フリーランス・フォトジャーナリスト
1963年神戸市生まれ。1992年中米の紛争地エルサルバドルの取材を皮切りに取材活動を開始。東南アジアや中米諸国を中心に、軍事政権下の人びとの暮らし・先住民族・ 世界の貧困などの取材を続ける。http://www.uzo.net
著書・写真集に 『観光コースでないミャンマー(ビルマ)』
『Peoples in the Winds of Change ビルマ 変化に生きる人びと』など。

最終更新:8月26日(金)6時0分

アジアプレス・ネットワーク

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。