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子泣き爺は実在した!? 専門家が語った「妖怪」の本当の姿とは?

TOKYO FM+ 8/27(土) 11:40配信

現代では『ゲゲゲの鬼太郎』や『妖怪ウォッチ』など、日本のアニメ作品としてもすっかりおなじみとなった妖怪。妖怪に関する記述は日本最古の『古事記』や『日本書紀』から登場していて、江戸時代の後期には妖怪の浮世絵が大流行したそうです。今回は、神秘的でどこか怖さも感じさせる「妖怪」の本来の姿を、TOKYO FMの番組の中で詳しい方々に教えてもらいました。


◆「子泣き爺は実在しました」
~作家/妖怪研究家 山口敏太郎さん

人の形をしているけど人間ではないものや、超常的な力を持つ獣を妖怪と呼びます。古くは天照大神が岩戸に隠れたときに悪しきものたちが出てきたのが妖怪のルーツと言われているので、神話の時代から妖怪的な存在はいたと言えるでしょう。

ただし「妖怪」と呼ばれるようになったのは最近で、「悪しきもの」「異なるもの」「鬼」「天狗」等、時代によっていろんな呼び方があります。江戸時代なら「化け物」で、ろくろ首、一つ目小僧、豆腐小僧、のっぺらぼうなどが登場する黄表紙と呼ばれた本が人気でした。日本では江戸時代からポケモンや妖怪ウォッチのようにキャラクターとして妖怪を愉しんでいたんです。

明治に入ると柳田国男とその一門が民俗学を確立する中で、各地に伝わる怪奇現象がまとめられます。ただしこれは「現象」なので、声や音だけで姿形はありません。小豆洗いも子泣き爺もその音だけが伝わっていたし、砂かけ婆も砂が降ってくる現象ですからお婆さんである理由はありませんでした。

妖怪という言葉を広めたのは明治時代の井上円了という人物です。この言葉は江戸時代に学者の間でオカルト現象の総称として使われていました。だから明治初期に書かれた井上円了の『妖怪学』では、迷信や超能力、幽霊も妖怪として扱われています。

その妖怪を現在の意味にしたのがマンガ家の水木しげるです。柳田国男の『妖怪談義』に収録されている塗壁(ぬりかべ)や一反木綿といった現象としての妖怪に、姿形を与えてキャラクター化したのが水木しげるでした。『ゲゲゲの鬼太郎』ではそうやって水木しげるが姿形を与えた妖怪が主人公の仲間として登場し、江戸時代から黄表紙に登場していた化け物たちが敵役として登場しています。

調べてみると子泣き爺は実在の人物だったようです。昔は山で仕事をするときに猪や鹿と間違えて撃たれないよう合言葉のように何かを叫ぶ習慣があったのですが、徳島県に「オンギャー」と叫ぶ人がいました。事情がわからない子どもがそれを聞いて恐がり、母親が「言うことを聞かないと山から子泣き爺が来るよ」と言った……これが最初だったという説が有力です。


◆「妖怪は基本的に害がないものです」
~日本美術史学者/『大妖怪展』企画監修 安村敏信さん

妖怪は江戸時代に大増殖しました。それまで妖怪といえば京都のものだったんですが、これは妖怪の絵を描ける絵描きが京都にしかいなかったから。それが江戸時代になると出版文化が発達して、庶民も妖怪に触れる機会が生まれます。そして街道が整備され江戸の妖怪本が地方に伝わると「これならウチにもいるぞ」とばかりに各地でさまざまな妖怪が生まれるんです。

実は多くの妖怪は害がなく、子どものように人間を驚かせて喜んでいるだけです。たとえば『稲生物怪録(いのうもののけろく)絵巻』では16歳の平太郎クンのもとに毎晩妖怪が現れます。逆さになった首が髪を足のようにして歩くなど、妖怪たちは30日間にわたってあの手この手で平太郎クンを驚かせようとしますが、この平太郎クンがまったく驚かない。ついに最後は妖怪の親玉が現れて「参りました」と降参します。実はその妖怪にも事情があって、16歳の子を100人驚かせると妖怪の王様になれたんです。でも平太郎クンで失敗してしまい諦めて帰ることに……というお話です。

真珠庵の『百鬼夜行絵巻』は百鬼夜行が最初に描かれたとされる貴重な絵巻です。室町時代の作品だと考えられていますが作者はわかっていませんし、詞書(ことばがき)も付いていないのでストーリーもわかりません。それなのに国の重要文化財に指定されているのは、後の絵描きたちに多大な影響を与えたからです。江戸時代にはこの絵巻からピックアップした妖怪を描いた人や、この絵巻を図鑑化して百鬼夜行をまとめた人がいました。現代でも水木しげるさんの作品やスタジオジブリの『平成狸合戦ぽんぽこ』などにこの絵巻を参考にした妖怪が登場しています。

『針聞書(はりのききがき)』は人間の体の中の妖怪を描いた戦国時代の作品です。人間の病気を引き起こす妖怪たち「腹の虫」を、ゆるキャラのような可愛らしい絵で描いています。「大酒飲みの虫」は子連れのお父さんが「お父さんにはコイツがいるんだ!」なんて言われて苦笑していますね。実はこの本、お医者さんの教科書で「この虫を殺すには何を食べればいい」みたいなことが書かれています。とても医学書とは思えない可愛らしさですが。


◆「もはや妖怪は日本の文化です」
~横浜国立大学教授 一柳廣孝さん

私の研究テーマは「怪異」です。もともと夏目漱石や芥川龍之介といった正統派の文学研究をしていたのですが、あるとき、漱石が心霊的なものに関心を抱いていることに気付いたんです。芥川も子どもの頃から怪談を聞いて育ったような人だったので、怪談やオカルトが大好きでした。2人とも文豪のイメージが強すぎてそんなイレギュラーな部分に光が当たっていないので、そっちを研究し始めたのが最初でした。

海外で近代科学が勃興してきたときに「魂とは何か?」という科学的な研究も試みられました。そんな心霊の研究が日本へ伝わると「日本では霊魂や魂はどう考えられているのか」「それが明治になってどう変わったのか」を考えざるをえません。それを考える時に妖怪や談、すなわち「怪異」が非常に興味深い存在なんです。

江戸時代あたりから怪談のフレームができて、怪異のイメージが固まってきます。そして明治になって世の中が変わると怪談が抑圧されたり、70年代のオカルトブームのときは注目を集めたり、最近なら「実話怪談」が出てきたり、時代によって怪異のおかれる立場は変わってきました。

たとえば最初に《青山墓地のタクシー幽霊》が流行ったのは昭和の初期。「あるタクシーが青山墓地で美しいお嬢さんを乗せて家まで送ったら、そのお嬢さんは数日前に亡くなっていた」というお話ですが、これが60年代に急に復活しているんです。ところが60年代の話が昭和初期と違うのは「座席が濡れている」という設定が付いているんです。それはなぜか……というような研究をしています(9月から『怪異の時空』という3巻本のシリーズにまとめますのでぜひご一読ください)。

実は海外には「妖怪」にぴったり当てはまる概念がありません。もちろんそれぞれの土地に伝わる不思議な現象や存在はありますが、それと日本の妖怪は似て非なるものなので、マイケル・フォスターというアメリカ人の研究者は著書で「Yokai」と綴りました。水木しげるさん以降、90年代の京極夏彦さん、近年の妖怪ウォッチなど、一過性のブームを超えて完全に定着した妖怪は、もはや立派な日本の文化と言えると思います。

(TOKYO FMの番組「ピートのふしぎなガレージ」2016年8月20日放送より)

最終更新:8/27(土) 11:40

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