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【高校野球】夏の甲子園から捧げる祈り グラウンドにベンチ、室内練習場で願った平和

Full-Count 8/27(土) 9:37配信

それぞれが特別な思いを胸に戦った8月9日

 夏の甲子園大会が行われていた8月9日の原爆の日。この日、長崎代表の長崎商が1回戦を戦っただけでなく、特別な思いを寄せる監督、選手の姿があった。

 71年前に原爆が長崎に投下された8月9日。第2試合に長崎商が山梨学院と対戦した。1回表が終わると長崎商のスタンドでは黙祷する人の姿があった。原爆が落とされた午前11時2分を少し回った時、ベンチ前で長崎商ナインは円陣を組み、目を閉じ、平和への祈りを捧げていた。試合は3-5で敗れたが、西口博之監督は「選手たちは最後まで諦めずに戦ってくれました」と称え、日程の巡り合わせを感じながら、甲子園でプレーできる喜びと今の幸せを感じていた。

 一方、対戦相手の吉田洸二監督も特別な感情で迎えていた。長崎県佐世保市の出身。09年には長崎・清峰高校を監督として率い、センバツV。自身は佐世保商時代の3年に長崎商に2回戦で敗れている。その日は運命に導かれたような対戦となり、山梨学院での甲子園初勝利を挙げた。「こんなに心臓がどきどきした試合は初めてだった。20年も長崎の方に応援をしてもらっていたので」と戸惑いはあった。ただ、精一杯、戦った。

 指揮官は言った。「私も平和教育を受けてきた。2日前に(山梨学院の)生徒たちにも平和のありがたさの話は伝えました。社会科の教員ですから、長崎から来た者としても平和への教育をするのが私のつとめだと思っています」。

室内練習場で一人黙祷を捧げた球児、「僕らが後世に伝えていかなくては」

 2日前の7日夜、宿舎でのミーティングの前に戦争の恐怖、命の尊厳についての話をした。チーム内には長崎出身の松尾孝太選手(2年)もいた。「毎年、8月9日は学校に登校して、平和集会がありました。長崎で9日は忘れてはならない日。強い思いで試合に臨みたいと思っていた」(松尾)。山梨学院のユニホームを着ながらも、故郷への思いを持って戦っていた。

 時同じくして、次の試合に備える横浜高(神奈川)にも同じような思いを抱く選手がいた。2年生外野手・増田珠選手だった。3番打者を任された注目のスラッガーもまた長崎県出身だった。

「8月9日は学校に登校し、被爆者のお墓参りなどをしていました。戦争の背景などについての勉強もしていました。戦争体験者が高齢化している。被爆で苦しんでいる方はいっぱいます。どんな形でも僕らが後世に伝えていかなくてはならないと思います」。午前11時2分。横浜は室内練習場で東北(宮城)との一戦に備えてアップをしていた。時計の針が時刻を指すと、増田は一人、目を閉じて黙祷を捧げたという。

 甲子園という場所で交錯した運命。熱い戦いの中で故郷への思いをさらに強くし、自分の役割、使命というものを実感した。それぞれにとって忘れられない夏になった。

フルカウント編集部●文 text by Full-Count

最終更新:8/27(土) 9:37

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