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アサヒ・泉谷会長、 「経営者として旬が過ぎているのに居座ると、会社をおかしくする」

ニュースソクラ 8/28(日) 18:40配信

「わが経営」を語る アサヒグループホールディングス・泉谷直木会長兼CEO(1)

 アサヒグループホールディングスの泉谷直木氏(68)は今年3月、社長を小路明善氏と交代して会長兼CEO(最高経営責任者)に就任した。社長時代、企業価値重視の経営を追求して株主時価総額を約2倍に高め、純利益の最高益更新記録を15期連続に伸ばした。独自の会長論から世界のビール市場での進路まで自在に語った。(聞き手は森一夫)

――社長在任は6年でしたね。10年くらい、できたのではないですか。まだ元気で、業績もよいのですから。

 代わるべき潮目を見極めての判断です。実は、適切な時機を示す潮目は経営が上り調子のときに出てくるのです。ここで交代すれば、次の社長も成功するというタイミングをとらえなくては駄目です。峠を越えてからでは、潮目と思っても、それは落ちて行く境目にすぎません。

 自分で業績を下げておいて、後任の社長に「お前、けしからんぞ」と言うのは、潮目の読み間違えです。経営者として旬が過ぎているのに居座ると、会社をおかしくします。

 長期政権はいい面と悪い面がありますが、一番の問題は、社長がリーダーシップを発揮すればするほど、経験知が社長にしかたまらなくなることです。次々と入れ替わる役員は、社長とは圧倒的に差がある。そこで経験知の浅い人が社長になったら、必ず業績に揺り戻しがきます。

 社長の任期は6年がちょうどよいと私は思っています。下の人材も育ってきました。昔から、社長になったその日から後継者の育成が社長の一番大事な仕事だと言うでしょう。

 社長がどれだけ名声を博してスターになるかが、注目されがちですが、組織ですから、業績が持続するようにきちんとつないで行くことが重要です。リレーの選手はバトンを渡すとき、スピードを落としませんよね。あれと同じです。好調なときに交代する潮目をどう見つけるかが、経営者の務めだと思います。

――潮目を見て、社長を代わったというわけですが、会長兼CEOですね。

 なぜ私が会長で、CEOを自分に残したのか。「泉谷は未練があって、まだ権力を握っている」と見る人もいる。また「あいつは本当に我慢できるのか。任せたと言うが、あのタイプでは絶対に前に出てくる」と言う人もいるわけです。そんなことはよくわかっています。

 だから役割分担を自らに課しています。執行部門は社長に任せて、私はその最終責任を負う。これはCEOとしての覚悟です。自分で執行を全部やって全責任を負うのはいいですが、今度は人に任せて責任を取るのですから、その覚悟が本当にあるのか、人間としてできるのかと自問しました。

 経営環境の変化は激しく、私は時代に合わせて会社を持ち株会社制に変えて、アサヒグループホールディングスの初代社長になりました。グローバルに打って出て、持ち株会社には先輩がいないので、慣れないことを勉強しながらずっとやってきたのです。

 そういう中で交代したので、どこかで何かが起こったら、向こう2、3年は私が責任を取らなければいかんと覚悟して、CEOを残しただけなのです。だから私はいつまでもCEOを握っていようとは思っていません。

 とはいえ有事の際には、私も立ち向かわなければならない。それだけの実力と度量、人間性があるのか。こう会長になったときに自戒しました。

――任せることと有事対応との兼ね合いを、どう考えていますか。

 有事には、天変地異から、どこかから買収を仕掛けられることまで、いろいろあります。これに対処するには、どうしても経験知が要るんです。年齢と経験知の量だけは仕方がない。社長がいかに優秀でも越えられない点です。それを役立てられるところは、私が出ていかなければならないと思っているわけです。もちろん社長を中心にしてやるんですよ。

 社長交代の記者会見で、よく「新会長は、これからどんな仕事をするのですか」という質問が出ます。答はだいたい「大所高所から」というパターンに決まっていますよね。

 私は字を変えます。「大」は「退」に「高」は「後」にして「退所後所」です。一歩退いて社長をしっかりバックアップするという意味にね。有事においても社長を前面に押し立てて、私は後ろで下働きをする。会長兼CEOとして私は、その度量と責任を取る覚悟を求められます。

――後任に選んだ小路善明社長は泉谷会長と同様、労働組合の書記長をしていますね。

 私の後の後の書記長です。アサヒが最も厳しい時代に書記長をやっているんです。私は組合を6年やりましたが、彼は10年です。当時、業績がどんどん悪化して、まずグループ会社で合理化問題が起きて、次に本体でも起きたため、やはり経験知がないと対応できなくて、ずるずると延びたのです。彼は非常に苦労していますから、私は互いに共感するものがあります。

――労働組合では一緒の時期があったのですか。

 私の前任の書記長が彼を引っ張ってきて、一緒だったのは2年だったかな。彼は会社に戻ってから人事の仕事などをやり、アサヒ飲料にも行っています。飲料会社が赤字に陥り、私の前任社長の荻田伍さんが社長になって一気に立て直したとき、小路君は経営面をサポートしたんです。営業面を補佐したのは、後に飲料の社長になった菊地史朗君です。

 小路君は飲料に骨を埋めるつもりで行きました。その仕事ぶりを見ても、やっぱりこいつはすごいなと思いましたね。
(次号に続く)

■森 一夫(経済ジャーナリスト、元日経新聞論説副主幹)
1950年東京都生まれ。72年早稲田大学政経学部卒。日本経済新聞社入社、産業部、日経BP社日経ビジネス副編集長、編集委員兼論説委員、コロンビア大学東アジア研究所、日本経済経営研究所客員研究員、特別編集委員兼論説委員を歴任。著書に「日本の経営」(日経文庫)、「中村邦夫『幸之助神話』を壊した男」(日経ビジネス人文庫)など。

最終更新:8/28(日) 18:40

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