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哀川翔“Vシネ帝王”への第一歩は長渕剛の強引な誘いだった

日刊ゲンダイDIGITAL 8月29日(月)9時26分配信

 俳優、タレントとして活躍しながら芸能界屈指の昆虫博士でもある哀川翔さん(55)。主演したVシネマは111作を数え、誰もが認める“Vシネマの帝王”だ。

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「今度、ドラマやるんだけど出てくれないかな」

 日本武道館の楽屋でお会いした長渕剛さん(59)は挨拶もそこそこに、俺にこう言ったんだ。

 1988年6月17日。「LIVE’88 NEVER CHANGE」公演が終わった直後だったね。そりゃあ、ビックリしたさ。当時、パフォーマンスユニット「一世風靡セピア」に所属して5年目。同じ鹿児島県育ちってことで以前、鹿児島のイベンターが長渕さんを紹介してくれたことがあったり、「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系)とか音楽番組でご一緒したりはあったけど、面と向かって話をしたのは初めてだったからね。

 それに、歌って踊るのは何とでもなるけど、芝居の経験なんてゼロに等しかったから、即座に断ったんだ。「無理です」って。そしたら、「そう言わずにさ」って引いてくれないわけよ。さらに「芝居したことないし」って言ったら、「そのまんまでいいから」って結構、強引でね。結局、その勢いにのまれてOKしたら、すぐにTBSのプロデューサーに会わされて、トントントンと。それがその年の10月7日から11月25日までTBSで放送された「とんぼ」。

 この作品はヤクザ社会を題材にしていて、俺は長渕さん演じる小川英二の舎弟分・水戸常吉。主題歌はもちろん長渕さんのミリオンセラー「とんぼ」だよ。いざロケが始まったら、長渕さんが言ったような「そのまんま」なんて通用しない。まずセリフを覚えるのにひと苦労、それから芝居。セリフの間を取るとか、それ以前の問題で四苦八苦したね。

 ただ、そのころのロケって、本番前に必ずテストがあって、ディレクターの前であれこれ芝居を試すことができた。時にはアシスタントディレクター相手にテストのテストをしたりね。

 だから、本番の時は形とか流れが固まってるから芝居に集中できた。この年になってみると、これが本当によかったと思える。今は経費の問題で、NHK以外はぶっつけ本番がほとんどだからね。慣れてない時に、一発勝負で数少ない引き出しの中から演技するなんてなったら、そりゃ難しい。

 だから、28年前にドラマデビューできたってのは俺にとっちゃ、本当にありがたいことだった。朝まで飲み明かし、一睡もしないで現場に向かうなんてことは、しょっちゅうだったけど、毎日、勉強させてもらってた。長渕さんとのアクション、殴られるシーンでは、確実に10発中7発は実際に当たってたけど、それが「とんぼ」なんだって俺は納得してやってたしね。気が張ってたこともあって痛かなかったよ。

■ドラマをきっかけにオファー殺到

 芸能歴でいうと、「とんぼ」がきっかけで急に俳優のオファーが来るようになり、90年公開のVシネマ「ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ~」(監督・高橋伴明)で初主演。これが大当たりして、翌年にリリースした「ネオチンピラ続 鉄砲玉ぴゅ~」も大ヒット。それからはテレビと映画、Vシネマでてんてこ舞い。ピークだった97年ごろは主演が10本に助演が12本。現場にいたのが年間320日かな。

 2年半先までスケジュールが埋まってて、逆に「こうしたい」「ああしたい」って夢がないってほど忙しかった。

 30代後半、まだ体力もあったから、そんなむちゃくちゃもできたんだろうけど。俳優「哀川翔」の生みの親は長渕さん、育ての親は(高橋)伴明さんと言っても間違いじゃない。この2人との出会いは俺の人生にとって、凄く大きかったね。

最終更新:8月29日(月)9時26分

日刊ゲンダイDIGITAL