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リオ超人烈伝「4年前はイメージできなかった」代表の自分 ~車椅子バスケ・藤澤潔~

カンパラプレス 8月29日(月)12時0分配信

 高校生の時から、ずっと目標としてきた日本代表。それを現実のものとし、藤澤潔は今、世界最高峰の舞台に立とうとしている。
「あの時の決断と努力があったからこそ」
 藤澤は今、そう思っている。

先輩からの激励で気づかされた現実

 2012年8月、宮城県角田市ではロンドンパラリンピックに向けての最終調整として、代表合宿が行われていた。その最終日、代表の練習試合の相手として参加していた若手選手に、当時代表最年長だった京谷和幸(現車椅子バスケ男子日本代表アシスタントコーチ)はこう言った。
「次はオマエたちの番だからな」
 それはロンドンを競技人生の集大成にしようとしていた京谷からの次世代に向けたメッセージだった。藤澤はその一人だった。

 しかし、藤澤には4年後をイメージすることができなかった。
「京谷さんの言葉を聞いて、逆に気づかされたんです。あぁ、このままでは絶対に自分には回ってこないなって」

 当時、地元の長野県に住んでいた藤澤は、一般企業に勤めながら県内の車椅子バスケットボールチームの練習に参加していた。しかし、残業も少なくなく、思うように練習時間が取れないことが悩みの種だった。もちろん、忙しいことを言い訳にするつもりはなかった。なんとかやりくりをして練習時間を確保できるように努力はしたものの、やはり現実は厳しかった。加えて関東とは異なり、練習試合の相手を探すのも一苦労で、なかなか強度の高いバスケを経験することも難しかった。

「これは思い切って環境を変えなければ、また同じことの繰り返しになる」
 そう思った藤澤は、関東の強豪チームに移籍しようと考えた。だが、当時既に家庭を持ち、一家の主となっていた藤澤にとって、決して容易なことではなかったはずだ。移籍先だけでなく、同時に安定した収入を得られる転職先も見つけなければならなかったからだ。

 しかし、藤澤の決意が揺らぐことは決してなかった。その理由はただ一つ。代表入りし、パラリンピックに出場したい、という思いである。そんな藤澤に救いの手を差し出してくれたのが、現在チームメイトの永田裕幸だった。

「どこのチームに移籍しようかと考えた時、自分と同じ世代の若いメンバーが多く、勢いのある埼玉ライオンズが一番いいなと思ったんです。それでキャプテンの永田さんに相談したら、『うちにおいでよ』と言ってくれました。しかも、永田さんが勤務する会社にも話をしてくれて、僕もそこで働けるようにしてくれたんです」

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最終更新:9月7日(水)7時49分

カンパラプレス

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

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昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。