ここから本文です

松岡修造氏の母校が続ける、暑苦しい教育

qBiz 西日本新聞経済電子版 8/29(月) 10:36配信

 訪日外国人数が今年上半期で1千万人を突破するなど、国際化が進む日本。教育現場は未来へ向けたグローバルな人材を育てるため、どう対応すればいいのか。国内の高校で初めてタイに付属中を開設し、新たな国際化教育への挑戦に乗り出した柳川高(福岡県柳川市)の古賀賢(けん)理事長兼校長(48)に、これまでの取り組みや目指すものを聞いた。

ANA国際線、『気圧対応』豚骨ラーメンに注文続々

-なぜ国際化教育が必要なのか。古賀さん自身の体験から聞かせてください。

 「私は中学まで柳川でテニス漬けの日々を送っていました。ところが高校に進む際、今年7月に亡くなった父の通生(みちたか)から英国へ放り出されたのです」

-通生さんは前理事長で、男子テニスで全国高校総体14連覇を成し遂げた名監督でしたね。放り出されたとは一体…。

 「中学卒業後、父が『ウィンブルドンを見に行くぞ』と。プロテニス選手を夢見ていた私はうきうきして飛行機に乗りました。ところが現地に着くと、父は『ここで高校の面接を受けろ』と言い残し、帰ったのです。最初は辞書を片手に指さし会話で英語を覚え、ダルウィッチ高、ロンドン大を卒業しました」

-10代での海外単身生活は大変だったでしょう。

 「高校に日本人は私1人。言葉の壁よりも人種差別に苦しめられました。英国にはアジア人を見下す人が多く、ホームシックにかかりました。その時、気付いたのです。外国人として生活するのはこういうことなんだと。国に属する安心感がない暮らしは、本当につらく寂しいものです。そんな外国人の孤独や苦労を分かってあげられる人材を育てることが、国際化教育の第一歩だと確信しています」

-通生さんは1980年、国内の高校で初めて中国への修学旅行を実現させましたね。

 「父は『柳川は田舎だが、志を持たせれば、田舎っ子も世界へ羽ばたける』と言っていました。その言葉を実践したのがテニスプレーヤーの福井烈(つよし)さんや松岡修造さん。リオデジャネイロ五輪競泳銀メダリストの坂井聖人(まさと)君も、その流れですね」

 「今、わが校の国際科には、隣を見れば普通にいろんな国の生徒がいます。10代の頃にそうした環境で学べば、自然と国際理解も身についていきます」

-今年5月、タイに現地の子どもを対象とした「柳川高校付属タイ中学校」を開設しました。その狙いは。

 「まずは少子化対策です。筑後地区では7年後、中3の数が200人減ります。そこで、親日的で日本への留学熱が高いタイに着目しました。現地の付属中から毎年30人程度の卒業生を柳川高に留学させれば、生徒数減少の歯止めになります」

-開設地はタイのどこですか。

 「南部のナコンシータマラートです。日本人の99%が知らない土地ですが、だからこそポテンシャルがあると考えました。開校を機に、既に行政間では姉妹都市締結の動きも生まれています。いずれは企業進出や観光交流に発展するかもしれません。海を越えてローカルな街同士が結び合うことで、互いのまちづくりにプラスが生まれます。人口減が進む地方で、学校にできる地域貢献だと思います」

-現在の運営状況は。

 「第1期生は16人。初年度としてはこれで十分です。現地に5回入りましたが、タイの子どもたちはキラキラした目で私を見詰めてくれます。その期待に応えるため、3年かけて17人の教職員の心を一つにして、タイに根ざした学校に育てます」

-校長室の窓に、「アイ・ハブ・ア・ドリーム」という言葉が貼ってありますね。

 「私が一番好きな言葉です。子どもの目の輝きを失わないようにするには、大人が夢を語らないといけません。これからも生徒たちに、暑苦しいほど夢を語っていきます」

西日本新聞社

最終更新:8/29(月) 11:11

qBiz 西日本新聞経済電子版