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【あの時・不死鳥 美空ひばり】(5)無念のドクターストップ…幻の横浜アリーナ公演

スポーツ報知 8月29日(月)14時0分配信

 5万人が熱狂し、涙したドーム公演。それでもひばりには心残りがあった。「本人は、出し切れない自分を感じた日にもなったと思います」。長男・和也は振り返る。すでに体はボロボロ。それでもひばりは、リベンジの場をすぐに定めた。「あの人は止まりたくても止まれない。ブレーキのついていない暴走列車みたいなものだった」

■東京ドームから1年後

 1年後、1989年4月の横浜アリーナ。ひばりはもう一度、大舞台に立つことを夢見た。ドーム公演の直後に和也は、ひばりプロにスタッフとして入っていたが、横浜アリーナは、和也の初のプロデュース公演でもあっただけに、ひばりは「完璧なコンサートをやる」とガムシャラになっていた。

 しかし、病魔はひばりの思いを打ち砕いた。無念のドクターストップ。ひばりは「あんたがプロデュースするのにできないなんて…」と号泣。チケットも完売していたが、横浜アリーナ公演は幻のコンサートとなった。その3か月後の89年6月24日。ひばりは間質性肺炎による呼吸不全のため天国に旅立った。52歳だった。

 結果的に不死鳥コンサートは、ひばりの命を縮めるだけの興行になってしまったかもしれない。しかし、ひばりは当時に戻ったとしても、迷わず東京ドームの舞台に立つことを選ぶだろう。命の火を燃やすように。

 ♪どうしてうたうの そんなにしてまで ときどき私は 自分にたずねる それでも私はうたい…うたい続けなければ その胸で私の歌 うけとめてくれるあなた! あなた! あなた! あなたがいるかぎり(美空ひばり「歌は我が命」)

 和也はひばりの死後2年間、不死鳥コンサートの映像を見ることができなかった。「2年後ぐらいに意を決して見たんです。始まって30分で、正座している自分に気づいた。そこで初めて『おふくろとファンの方をつないでいたのはこの歌声だったんだ』ってことが分かった。息子の立場としては、東京ドームコンサートはすごく心配で、つらくて…。ずっと反対していた。それでも『復活』という目標のない美空ひばりを、美空ひばり自身が認めることは絶対にできなかった」

 岸本加世子も断言する。「自分の人生を生きているなかでいくつか、どうしても見ておかないといけないものがあると思う。それがあのコンサートだった」。会場にいた全ての人にとって、あの2時間半はただの2時間半ではなかった。

 28年がたち、いまや東京ドームはコンサートの聖地となった。しかし、いまだ演歌歌手でドーム公演を行ったのはひばりだけだ。歌のために肉体をささげ、歌とともに生きた女性。その生涯が幸せだったのかどうかは本人にしか分からない。しかし、ひばりの明るく、希望に満ちた歌声は、いまも色あせることなく「人生」を映し出している。

 来年5月29日、ひばりは生誕80周年を迎える。(宮路 美穂)=敬称略・おわり=

最終更新:8月29日(月)14時0分

スポーツ報知

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。