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通貨が壊れるとき(アルゼンチン・ペソ編)

マネーの達人 8/29(月) 5:08配信

20世紀の初頭は豊かだったアルゼンチン

アルゼンチンは20世紀の初頭、世界有数の農業物、畜産物の輸出国で南米でもっとも豊かな国だった。二度の大戦にも関与せず、戦時中も非常に高い経済成長率を記録していたという。

1940年代半ば 産業構造の転換を図るも失敗

1940年代半ばにペロン大統領(妻は「エビータ」で有名なエバ・ペロン)が就任してからは大戦中に貯まった外貨を使って工業を振興し、産業構造の転換を図ったがうまく行かなかった。この辺りからアルゼンチンの凋落がはじまる。

さらにペロンは労働者保護に力を入れていたためにアルゼンチンはのちに外国にとって投資のしにくい体質を持つようにもなる。

1960年代以降500%のインフレを経験

1960年代以降は政変やクーデターが相次ぎ、イギリスとの間にフォークランド紛争が起こるなど混乱が続く中安易なバラマキ政策などをおこなっていたために1988から1989年には500%のインフレーションを経験する。

1990年前半 レートを固定し景気回復

その後、親米を掲げたメネム政権がインフレ克服のために1ドル=1ペソというドルベッグ制(自国通貨とドルのレートを固定すること)を導入。

ドルに対しての為替変動がないという安心感により、海外からの投資が活性化して1990年代前半には景気が急回復した。

1990年後半 隣国ブラジルで経済危機発生

アルゼンチンの人々は自国通貨のペソ高を背景に輸入品の消費にいそしみ、内需が急拡大した。ところが自国通貨が高いということは国内の輸出が伸びないということ。

輸出が激減して、輸入が激増。貿易収支が急速に悪化することになる。実際はたいして稼いでいない。つまり経済的実力はそれほどでもないにも関わらず、ドルペッグによって自国通貨は無理やり高く留め置かれた状態。

この辺りで経済に強いビジネスマンたちが将来のペソ下落を見越して、自分の資産をドルに両替して海外に逃がす、いわゆるキャピタルフライトが発生。

当時のアルゼンチンの兌換法ではペソとドルの両替を保証していたため、ドルペッグを支える外貨準備がどんどん流出してゆく事態となる。そんな中、追い打ちをかけるように隣の大国ブラジルで経済危機が発生。

危機対応のためブラジルは通貨を切り下げ、変動相場制に移行してしまった。当時、アルゼンチンの輸出先の30%を占めていたブラジルの通貨切り下げで貿易収支がさらに悪化するという悪循環に陥ってしまった。

ここでアルゼンチンもドルペッグを放棄して変動相場制に移行していれば良かった。自国通貨が下がって輸入品は手に入らなくなるかもしれないが、外貨を取り戻す輸出産業は息を吹き返すはずだった。

ところがアルゼンチン政府はそうはしなかった。

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最終更新:8/29(月) 5:08

マネーの達人

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