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欧州大戦相場でまさかの大誤算 39歳の太く短い相場人生 岩本栄之助(下)

THE PAGE 9/3(土) 11:00配信 (有料記事)

 大荒れ相場を自身の全財産で支え、仲買人を救った岩本栄之助。さらに中之島の大阪市中央公会堂の建設時に岩本が100万円の寄付したことをメディアはこぞって絶賛しました。

 その後、岩本は欧州大戦時に相場を読み違え、人生最大の失敗をしていまいます。義侠の相場師と担ぎ上げられた時期はあったものの、相場の世界は敗者には冷たく厳しいものでした。39歳という若さで人生にピリオドを打った悲しい相場師の絶頂期から最期の瞬間を市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。


  中之島の大阪市公会堂建設に100万円の寄付

 岩本栄之助がみずからの口で、100万円を教育や慈善事業ではなく、公会堂の建設に寄付したわけを語るのは1911(明治44)年10月1日号の『実業之日本』誌上である。それは母の教えによるものだった。

 「母の許しを願うた時、母から訓戒された要点は、2つある。第1はこの出金をもってわが家の誇りとすることがあってはならぬ。第2は他人に迷惑を及ぼしてはならない、ということであった。100万円の金は100万円の輝きを放たずともよろしい、この金のため累を後日に残し、『岩本はいらざる思い付きをした』との批判を受けぬことに使え、というのが母の戒めであった。渋沢翁もこの母の訓戒にいたく感動され、公会堂を選択せられたのも母の注意によるものです」

 岩本の100万円寄付は世間によほど大きな衝撃を与えたとみえる。1912(明治45)年、今度は『実業之世界』誌が岩本を持ち上げる。いくつかの慈善事業で10年、20年たって維持、管理に手を焼くという事態を知っている母の戒めを栄之助は守ったのである。

 「岩本君は野村徳七君のように、その容貌、風采は純然たる大阪式で、ともに親の遺産を譲り受けて株式界に立っている人なり。野村君のように、東京の株式界に逆襲してくるような気勢は示していないが、日清戦争後の相場界で奇利を博し、その後も富を積んで、200万円に達した。その技りょうはあなどるべからざるものがある。……そして全資産の半分という代金を寄付した者があるだろうか。よくたくわえ、よく散ず-これは言うに易く行うは難しいことだ」

 100万円という額も大きいが、全資産の半分を公会堂建設に投じたことをこの雑誌は強調する。本文:4,542文字 この記事の続きをお読みいただくには、THE PAGE プラスの購入が必要です。

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最終更新:9/3(土) 11:00

THE PAGE