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子と向き合う覚悟新た 沖縄少年院法務教官の武藤杜夫さん

琉球新報 8月30日(火)9時40分配信

 「一度落とした人生。残りの人生は子どもたちのために使いたい」。沖縄少年院の法務教官・武藤杜夫さん(38)=那覇市在住、東京都出身=は、1年前の2015年8月、休暇で一人訪れた鹿児島県屋久島で沢登りの最中に足を滑らせ、川に流された。すぐ先には落差30メートルの険しい滝。「落ちたら間違いなく死ぬ」。とっさに体をくねらせ巨岩に体を激突させた。下半身は動かなかったが、辛うじて動いた手で携帯電話を探り、数時間後、救命ヘリで鹿児島の病院に搬送された。

 骨盤と左足を骨折、直腸が破れ、尿道断裂、腹膜にうみがたまって敗血症を起こしかけた。全身麻酔の手術を計6回受け、後に医師から「死ななかったのが不思議」と聞かされた。1カ月ベッドから動けず、下の世話にもなった。人の優しさが身に染みた。

 “元落ちこぼれの法務教官”。そんな表現が大げさでないほど苦悩の思春期を過ごした。中学では教室にほとんど入らず、違反制服のポケットにナイフを忍ばせ教師に反抗。成績は3年間オール1。渡された通知表は教師の目の前で破り捨てた。「悪いと言われることはたいていやっていた」

 父は医師、母は専業主婦、弟も2人いたが、自分だけ「何もかも似ていない」と感じ、孤独感にさいなまれた。規則でがんじがらめの学校が息苦しく、同級生にも心を開けなかった。自分が嫌でたまらず、写真や思い出の品も捨てた。

 高校は1浪して埼玉県の山奥にある「自由の森学園」に行ったが教室になじめず、辺りの山や川で時間を過ごした。中学から続けていた家出もエスカレートし、ヒッチハイクで車を100台以上乗り継いで北海道まで行ったこともある。

 高3のころ三線に出合い、沖縄に興味を持った。卒業と同時に三線を担いでヒッチハイクとフェリーで沖縄に渡った。「昔からそこにいた不思議な感覚」の竹富島で、水牛車を引く仕事を任された。いろんな出会いと経験を重ねたことで、ようやく自分の存在を認められるようになった。

 来沖から3年がたったころ、「僕の人生、人との出会いで変わった。僕も“変わりたい誰か”の『出会い』になりたい」と思うように。かつての自分と同じように、「苦しんでいる誰かの立ち直りを支援する矯正職員になろう」と決意し、猛勉強を始めた。中学からの勉強を1年間、独学でみっちりたたき込み、2001年に国家公務員の刑務官採用試験に一発で合格した。

 以来十数年、出会ってきたのは「かつての自分のような独りぼっち」ばかり。だからこそ彼らと徹して向き合い、その可能性を信じ切り、「お前には一流になる素質がある。一流になれ」と魂をぶつけてきた。児童養護施設でのボランティアなど、仕事の枠を超えた活動にも取り組んできたが、実は避けてきたことがあった。大嫌いだった「大人」との関わりだ。

 滑落事故は全治1年の診断だったが死に物狂いのリハビリの末、102日後に退院し、その1カ月後に職場復帰を果たした。前後して浦添市青少年問題・いじめ問題対策連絡協議会委員の委嘱を受け、中学校にも足を運ぶように。地域のことも気になり、校区内の公園を見回り、夜開いている児童館など地域の支援につなぐ取り組みを始めた。

 時には子どもと話し込み、家まで送り届けることもある。彼らの親とも話すようになり、あらためて「親支援」の必要性を痛感するように。自分が関わってきた少年院の子どもたちが親になってきた現実もある。「親もまだまだ子ども。社会全体で親もサポートしないといけない」。“大人”と向き合う腹が決まった。

 心掛けているのは、互いの思いを素直に伝えられず衝突を繰り返して苦しむ親子の仲介役になること。そして、子どもと親、教育者である自らが、共に変わる「共育」だ。

 「大人も子どもも、独りぼっちになっちゃいけない。誰かとつながる勇気を持ってほしい」。自己否定と孤独に苦しみ、生死を分かつ事故を経てつかみ取った答えを、子どもにも大人にも伝え続けていく覚悟だ。

文・佐藤ひろこ
写真・金城実倫

 


武藤杜夫さんのインタビュー(全4回)はこちら

「少年院を日本一の学校にする」(1)

「少年院を日本一の学校にする」(2)

「少年院を日本一の学校にする」(3)

「少年院を日本一の学校にする」(4)


武藤杜夫さん執筆の琉球新報コラム「南風」全14回はこちら

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【プロフィル】
武藤杜夫(むとう・もりお) 法務省沖縄少年院法務教官。1977年9月6日、東京都生まれ。中学生時代から非行が始まり、問題行動が深刻化。ボクシングジムに入り浸り、学校をボイコットしていたため、成績は3年間オール1。「落ちこぼれ」の烙印を押される。その後は、ヒッチハイクで全国を放浪するなど放浪児同然の生活を送っていたが、教育者としての使命に目覚めると、一転、独学による猛勉強を開始。一発合格で法務省に採用される。現在は、非行少年の矯正施設である少年院に、法務教官として勤務。元落ちこぼれの個性派教官として絶大な人気を誇り、独自の教育スタイルで多くの少年を更生に導いている。また、公務のかたわら、講演活動、執筆活動などにも精力的に取り組んでおり、その活躍の場は行政の枠を超えて広がっている。

琉球新報社

最終更新:9月1日(木)10時32分

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