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漱石、電話のかけ方聞く 未公開書簡2通発見 我孫子市、10月公開へ

千葉日報オンライン 8/30(火) 11:11配信

 千葉県我孫子市は29日、小説家の夏目漱石(1867~1916年)が昭和前期までに活躍したジャーナリスト杉村楚人冠に宛てた未公開の書簡2通を発見したと発表した。漱石の私的な書簡が新たに見つかるのは珍しいという。10月8日から、同市の杉村楚人冠記念館で初公開する。

 市文化・スポーツ課によると、楚人冠は明治末期~昭和前期、東京朝日新聞社で活躍した記者。関東大震災後に我孫子に移り住み、随筆家や俳人としても活動した。漱石は同社への入社を機に楚人冠と出会い、親交を深めた。

 発見された書簡は、いずれも半紙に書かれている。1通目は1910年1月19日、漱石が楚人冠の長女麗子(うらこ)の死去を聞いたその日に送ったもの。楚人冠宛ての書簡ではこれまで、同月21日に出された麗子死去へのお悔やみが最も古いと考えられていた。

 2通目は12年12月24日、電話を引いたばかりの漱石がかけ方を聞くために送った書簡。電話番号の書き直しや、出社しないことを心配した楚人冠に「社へ出ぬ事は無精にて怒つてるにあらず(社へ出社しないことは怒っているのではありません)」などと心情を伝える一文も記されており、同課は「漱石の人間らしい一面が表れている」と評価する。

 2通とも市が楚人冠関連資料の調査を進める中で、遺族の一人から借用した資料から見つかった。書簡がすべて記録された「漱石全集」には掲載されていない。楚人冠宛ての書簡を分類したファイルに長年保存されていたことなどから、真筆と同課が判断した。

 10月8日~来年1月9日、同記念館で開かれる企画展「楚人冠と漱石~新聞と文学と」で未公開書簡2通を初公開する。夏目漱石没後100年を記念し、二人の交流を他の書簡や書幅などからも読み解く。

最終更新:8/30(火) 11:20

千葉日報オンライン