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平凡主婦はストーカー!“常盤貴子×美容師”のサスペンス『だれかの木琴』

dmenu映画 8月30日(火)7時30分配信

(文/原田イチボ@HEW)

ふと漠然とした恐ろしさに囚われる夜がある。自分の体の奥に洞穴のようなものがぽかりと口を開けており、びゅうびゅうと風が吹き抜けている。そんなふうに無性な寂しさを感じたとき、人は誰かに触れてほしいと願うのでしょう。映画『だれかの木琴』(9月10日より全国公開)は、孤独感から夫以外の男性へのストーカー行為をエスカレートさせていく主婦の姿を描いた“男と女のサスペンス”です。

美容師の営業メールでスイッチオン

夫と娘と郊外に越してきたばかりの主婦・小夜子(常盤貴子)は、初めて訪れた美容室の美容師・海斗(池松壮亮)から営業メールを受け取る。なんてことはない挨拶に返信した彼女はゆるやかに海斗への執着を強めていき、何通も彼にメールを送っては頻繁に店に足を運ぶ。ついには彼の自宅を“特定”し、呼び鈴を押してしまう――。

“ストーカー”というものに固定観念を抱いていたようです。ストーカーなんて、一目見て挙動がおかしく、いかにも他人とコミュニケーションをとるのが苦手そうな人間がなるものだ。そんなイメージがありました。ですが小夜子は美しく柔和で、「感じがいい」という言葉がピッタリ。彼女の佇まいは、“暴走”という言葉で表現するには、あまりにも穏やかです。だからこそ、ストーカーなのか、ただ単に距離感が近いだけで悪気はない相手なのか、どちらと言い切れず余計不気味でもあるのですが……。でも普通、担当美容師の恋人が働くショップまでわざわざ訪ねませんよね!?

“常盤貴子”に“美容師”というと、恋愛ドラマの金字塔「ビューティフルライフ」が思い出されますが、『だれかの木琴』では同じ要素を使って、ここまで不穏な物語に仕上がっているとは……。『わたしのグランパ』や『もう頬づえはつかない』も手がけた“女優演出の名手”東陽一監督が、常盤の新たな表情を引き出しています。

ストーカー行為の中で美しく…

序盤では地味な印象だった小夜子はどんどん美しさを増していき、その変わりようには娘も困惑するほど。まるで海斗へのストーカー行為で生気を取り戻していったように思えてしまうのですが、映画を見終えてみると、彼女が本当に触れてほしかった相手とは海斗だったのか?という疑問がのこります。

クライマックスのまさに修羅場と言うべきシーン、緊迫した空気の中で、じっと佇み嬉しげにほほ笑む小夜子の姿を見て、「彼女が本当に求めていたものって海斗じゃなくて……」と電撃のようなショックを受けました。きっと彼はたまたまタイミング悪く、小夜子の飢餓感に巻き込まれてしまっただけなのでしょう。

作品を鑑賞した私たちには、小夜子が本当に振り向いてほしかった相手が誰かわかります。しかし小夜子自身はそれに気づいているのか、いないのか。でも私たちだって彼女と似たようなものです。理由のない不安感に襲われながらも、それを埋めてくれるものが何かわからない。それともわからない振りをしているだけ?

劇中でほんの軽く差し挟まれる放火犯のエピソードが印象的です。この世のいろんな禍々しい出来事の底には、小夜子を襲ったような「わけのわからない寂しさ」があるのかもしれません。

最終更新:8月30日(火)7時30分

dmenu映画

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。