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「キンドル読み放題」は書店を街から消すのか

ITmedia ビジネスオンライン 8月31日(水)6時40分配信

 このところ出版業界に大きな動きが相次いでいる。アマゾンジャパン(以下、アマゾン)が電子書籍の読み放題サービス「Kindle Unlimited」(キンドル アンリミテッド)をいよいよ日本でもスタートさせたが、一方でリアルの書店には再編の波が押し寄せている。

【「Kindle Unlimited」(キンドル アンリミテッド)の画像】

 日本最大の書店として開業し、書店大型化の先駆けとなった八重洲ブックセンターが出版取次大手トーハンの傘下に入った。また新宿南口の大型書店であった紀伊国屋書店新宿南店もフロアの大幅な縮小に追い込まれた。書籍の市場は手にとって1冊ずつ購入するという形から、電子書籍の定額読み放題に一気に流れてしまうのだろうか。

●キンドル読み放題はまずまずの滑り出し?

 アマゾンは8月3日、電子書籍の定額読み放題サービス「Kindle Unlimited」を開始した。米国などでは既に同様のサービスがスタートしており、日本は12カ国目となる。

 Kindle Unlimitedは、月額980円で12万冊以上の書籍やコミック、240誌以上の雑誌、120万冊以上の洋書が読み放題になる。キンドルでは46万冊の和書が販売されているので、全体の約4分の1が読み放題になる計算だ。対象となる書籍にはベストセラーの作品も含まれており、数多くの本を読む人にとっては相当な割安感がある。

 ただ、発売から半年以内の作品がほとんどなく、新刊書をたくさん読みたい人には十分なサービスとはいえない。コミックについては人気作品の一部だけに限定して読み放題とし、続きの購入を促す形となっている。

 アマゾンは以前から日本でも読み放題のサービスを提供することを計画していたものの、出版社との交渉がまとまらず、なかなか開始にこぎ着けられなかったといわれる。こうした読み放題のサービスは、有力なコンテンツ事業者が参加しない状況ではうまくいかない可能性が高く、アマゾンは慎重にならざるを得なかったようだ。

 日本の出版業界は、講談社系列(音羽グループ)と小学館系列(一ツ橋グループ)が極めて大きな影響力を持っている。このほか文芸系の老舗である文藝春秋や新潮社、最近参入した幻冬舎、ビジネス書ではダイヤモンド社や東洋経済新報社などが大きなシェアを占める。

 今回、アマゾンは講談社と小学館という出版業界で最も影響力のある2社を引き入れることに成功した。ただ、有力出版社の中でも、一ツ橋グループの1社である集英社や独立系のKADOKAWAなどのように読み放題に参加しなかったところもある。集英社は有力な雑誌とコミックを抱えており、一方のKADOKAWAは相次ぐM&Aによって、文芸書からビジネス書まで幅広くそろえる総合出版社となっている。この2社の参加がないのは少々痛いが、大手のほとんどが参加を決めたという点を考えると、まずまずの滑り出しといってよいだろう。

●厳しい状況が続く紙の書籍

 一方、紙の書籍は流通業界を中心に厳しい状況が続いている。出版取次大手のトーハンは今年6月、八重洲ブックセンターの株式の49%を鹿島建設グループから譲り受けると発表した。社長もトーハンから派遣されたことを考えると同書店は完全にトーハン傘下に入ったと見てよい。また、新宿南口の大型書店であった紀伊国屋書店新宿南店も8月7日をもってフロアを大幅に縮小し洋書のみの取り扱いとなった。

 八重洲ブックセンターは、鹿島建設のオーナーで無類の読書家として知られていた鹿島守之助氏が「全ての本をそなえた書店が欲しい」という夢を実現すべく設立に奔走した書店である。当初は流通している全ての書籍をそなえる計画だったが、書店組合の反対に遭い、規模を縮小しての開業になったといわれる。

 同書店は、鹿島建設の本社跡地に自社ビルという形で建設されており、まさに本を売るためだけに作られた理想的な書店であった。最終的には150万冊もの書籍をそろえることになり、日本における書店の概念を一変させるほどのインパクトを業界にもたらした。

 売却の直接のきっかけは八重洲の再開発計画といわれているが、出版不況の影響で業績が低迷していたのは事実である。大型書店の象徴的な存在であった八重洲ブックセンターの売却は、出版流通市場が大きな曲がり角に差し掛かっていることを如実に示している。

 書店の再編は既に進んでおり、2008年には丸善が、2009年にはジュンク堂書店がそれぞれ大日本印刷の子会社になった。今回八重洲ブックセンターを買収したトーハンは、2013年にブックファーストも子会社化している。出版不況と言われてから久しいが、書籍流通の最下流である書店の経営が特に苦しくなっているのは、出版独特の流通形態が大きく関係している。

●出版業界独特の業界慣行が足かせに

 出版は典型的な多品種少量生産の産業であり、他の業界とは大きく構造が異なっている。例えば標準的なコンビニには2500~3000点ほどの商品があるといわれているが、同じ売り場面積の書店には2万冊を超える本が置いてある。よほど売れている本でなければ、同じ題名の本が何冊も置いてあるわけではないことを考えると、書籍がいかに多品種少量生産であるかが分かるだろう。

 多品種少量生産でも消費者が特定地域に集約していれば流通もラクだが、書籍の購買層は全国に点在している。このため多品種少量生産の製品を全国津々浦々まで流通させる必要があり、その業務は複雑極まりない。こうした状況に対応するため、出版業界は委託販売制度という独特の流通形態を確立させてきた。

 これは、一般的な業種の卸に相当する取次と呼ばれる会社が、返品可能という形で出版社と書店との間を取り持つ形態のことを指す。書店が在庫リスクを抱える必要がないので、地方の零細書店でも経営を維持することが可能となる。一方、出版社が極めて大きなリスクを負う形になるので出版社には大きな利益が提供される仕組みになっている。取次や書店はリスクが少ない分、利益も少ないという構図だ。

 こうしたシステムは高度成長期にはうまく機能したが、出版市場はピークだった1996年を境にマイナスに転じており、既に4割も縮小している。出版社の中には大型書店と直接取引するところも出てきており、こうした独特の流通慣行はむしろ業界の足かせとなりつつある。

 このような中でアマゾンが急激に小売のシェアを拡大させてきたことから、リアルな書店の経営がさらに苦しくなった。書店で立ち読みし、アマゾンで購入する読者は確実に増えており、書店は過剰なコストを支払う図式となっている。

 出版業界の中で取次の企業規模は大きく、経営不振になった書店を買収できるのは取次しかない。取次大手のトーハンが経営難となった書店を救済するというのは、ある意味で自然な流れといってよいだろう。

●当分の間は生き残れる?

 ではアマゾンの読み放題サービスは日本の出版市場にどのような影響を及ぼすのだろうか。参考になるのは聴き放題サービスで先行している音楽業界だろう。音楽業界では定額聴き放題のサービスが全世界的に定着しつつある。

 音楽聴き放題で最もシェアを伸ばしているのは「Spotify」(スポティファイ)というスウェーデン生まれの音楽配信サービスである。Spotifyは、3000万曲以上のライブラリーの中から聴きたい曲をいつでも聴くことができるサービスで、広告が入るといった制約はあるものの基本的に無料で利用できる。月9.99ドルを払えば制限なしに音楽を聴くことができるが、有料会員は既に3000万人を突破している。米Googleや米Appleも同じようなサービスを提供しており、音楽の世界では、定額聴き放題が完全にグローバル・スタンダードになったといってよい状況だ。

 ところが日本市場は例外となっている。Spotifyは日本市場に進出を試みたが、レーベルとの間で権利関係の調整が進まず、なかなかサービスを開始できなかった(9月にはスタートできる見込み)。国内では、エイベックス・デジタルとサイバー・エージェントの2社が共同で設立したAWAなどが定額配信を行っているが、曲数に限りがあり、十分に普及が進んでいるとは言い難い。

 諸外国ではCD販売は既に廃れており、音楽配信が主流となっている。日本は全く逆で、いまだにCDの売り上げが音楽コンテンツ市場の85%を占めており、この状況はそう簡単に変わらない可能性が高い。

 日本の音楽業界で定額聴き放題が普及しなかったのは、絶対的なコンテンツ不足による影響が大きいと考えられる。その点でアマゾンは、多くの出版社の協力を取り付けた状態にあるが、全ての作品が読み放題になっているわけではない。コンテンツの数が増えないと利用者数を伸ばすことは難しいだろう。

 また、紙の書籍の購買層は各年齢層に広く分布しており、年齢による偏りが少ない。経済的に余裕のあるシニア層が存在していることで、当分の間、購買力は維持できる可能性が高いと見ていい。書店が街から姿を消すのはまだ少し先になるだろう。


(加谷珪一)

最終更新:8月31日(水)6時40分

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