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リオ超人烈伝「ハイレベルな三つ巴の戦いに挑む」 ~パラ陸上・山本篤~

カンパラプレス 8/31(水) 16:04配信

「いったい、どこまで伸びていくのだろう……」
 彼のパフォーマンスを見聞きする度に、そんな底知れぬ期待感が湧いてくる。山本篤、34歳。今、日本のパラ陸上界で最も注目されているアスリートの一人だ。

挫折があったからこその今

 山本は、子どもの頃からスポーツ万能で、何をやらせても、誰よりも上達するのが早かった。しかし、最後にはコツコツと努力する友人に抜かれてしまうのが常だったという。それでも「まぁ、自分はこんなものだろう」と、それ以上に努力することはあまりなかった。そんな彼が、初めて挫折を味わい、自らの限界に挑戦したのが、陸上競技だった。

 山本は高校3年になる直前の春、バイク事故で左足の大腿部を切断し、義足を履き始めた。それをきっかけに義肢装具士になろうと、高校卒業後は専門学校に入学。そこで知ったのが、競技用義足で行うパラ陸上の世界だった。自然と目指し始めたのは、2年後の2004年に控えていたアテネパラリンピック。山本は順調に力を伸ばし、2004年3月の最終選考会の時には100メートルの日本記録保持者となっていた。だが、選考基準とされた標準記録には届かず、代表には選ばれなかった。

 それまで、スポーツならどんな競技でも、誰よりも先に結果を得ることができていた。しかし、その時は他の義足選手たちが代表に選ばれる中、自分は落選。そんなことは、初めてだった。

 しかし、それがかえって陸上への気持ちを高めることとなった。山本は、本格的に競技をするため、内定していた就職を取りやめ、大阪体育大学に入学。陸上部に所属し、一般の選手とともに汗を流した。そして4年後の北京パラリンピックでは、100メートルで5位入賞。さらに走り幅跳びでは、銀メダルを獲得。それは、パラリンピックの陸上競技において、日本人の義足選手では史上初のメダルという快挙だった。

「もしアテネに行くことができていたら、おそらく僕はこんなにも陸上にはまってはいないし、こんなに努力もしていないと思うんです。あの時の挫折があるからこそ、今の僕がある。その思いは、まったく変わっていません」

 初めて目の前に現れ、跳ね返された壁。それこそが、「アスリート山本篤」を作り上げる土台となったのだ。

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最終更新:10/14(金) 15:31

カンパラプレス

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