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リオ超人烈伝「7年ぶりの復帰 ―そして、リオへ―」 ~水泳・成田真由美(前編)~

カンパラプレス 8/31(水) 19:48配信

復帰は、自然の流れだった…

 成田真由美……。
 パラリンピックという言葉を世に広めた人と言っても過言ではないだろう。なぜなら、パラリンピック競泳で1996年のアトランタから2008年の北京まで4大会連続出場、金15個、銀3個、銅2個、計20個のメダルを獲得し、「水の女王」と呼ばれるほどの結果を残してきたからだ。

 多くの人は、そのメダルの数に驚き、称賛する。
しかし、恐らくそれだけではない。成田に一度会うと、よく笑い、気さくに話す、その人柄に魅了されるのだ。「選手・成田」だけでなく「人としての成田」に接し、「成田さんはすごい!」となるのだと思う。

 2008年の北京パラリンピック以降、「選手・成田」を卒業してからは全国を回り、講演活動などを通じ、障がい者や障害者スポーツ、そしてパラリンピックについて多くの人に語りかけてきた。講演のたびに成田は「障がい者がどういう助けを必要としているかを、たくさんの子どもたちに伝えたい」という思いを強くし、特に小中学校の講演に力を入れていた。

 一方で、2013年に日体大総合研究所・客員研究員、2014年に2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事、2015年には中央教育審議会委員など、社会的な任務を受けるようになった。さらに、日本身体障がい者水泳連盟の活動も手伝うようになっていた。だから誰もが、もちろん成田本人も「選手を応援する側の成田として」これから生きていくと思っていた。

 しかし2014年11月、成田は選手復帰を決断。本格的な水泳の練習を開始した。もちろん、水泳が生活の一部になっている成田は北京後もずっと泳ぎ続け、健常者のマスターズ大会にも年に数回出場をし、「目標は、マスターズで入賞すること」と言っていた。

 成田は復帰の理由をこう説明した。
「組織委員会の理事として私にできることは何かと、ずっと考えていました。講演活動などでパラリンピックの魅力を語る以外に、何かもうひと工夫必要じゃないかと思っていたんです。そのうち、次世代の選手が育っていないことに気づきました。このまま東京大会を迎えたくはない……そこで私が泳ぐことで“自分もやってみよう”と思う人が出てくるかもしれないと思ったのです」

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最終更新:9/1(木) 22:57

カンパラプレス

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